北アフリカのモロッコには、ハーブティーやオイル美容など、植物の恵みを使って、健康と美しさを保つ伝統の「食薬文化」が根付いています。これら食薬の効果に科学的根拠を与えて商品価値を上げることができれば、現地で深刻な問題となっている高い若者の失業率を少しでも減らすことができるかもしれません。そればかりでなく、私たち日本人の健康にもつながるかもしれないのです。
 SDGsリレーブログ第3弾である今回は、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の目標1「貧困をなくそう」、目標3「すべての人に健康と福祉を」、目標9「産業と技術革新の基盤をつくろう」に注目して取材しました。

(科学コミュニケーター森脇沙帆)

食薬文化に科学的根拠を与えて若者の雇用をつくりだしたい!

オリーブ畑が乾燥した大地に広がっている(写真提供:SATREPS)

 刺すように強い日差しに、乾燥した大気。世界で一番広い砂漠であるサハラ砂漠が、国の南部に広がるモロッコには、そんな砂漠の乾燥した気候にも耐えられる、パワフルで世界的にも珍しい多くの植物が育っている。

 筑波大学地中海・北アフリカ研究センター長の礒田博子教授は、これまで100回以上、チュニジアやモロッコなどの北アフリカの国々に訪れている。その中で、地元の人々が植物をオイルやハーブなどのかたちで医薬品や食品として日常生活に取り入れている姿を見てきた。「農村部などだけでなく、都市部でも食薬文化が、たくさん根付いている」と言う。

 「特にミントティーは良く飲みますね。食後には必ず飲むので最低でも1日3回。胃の消化促進効果があると言われています」

 そう語るのは、モロッコの都市マラケシュ出身で筑波大学大学院生命環境科学研究科博士課程3年のムアド・サブティーさん。サブティーさんによると、ぐっすりと眠るためにはレモンバーベナのハーブティー、体調が悪い時には胸にアルガンオイルにアロマを混ぜたものを塗る。せきをしずめる効果などがあるそうだ。

 そんなモロッコが抱える社会課題がある。それは若者の失業率が高いことだ。モロッコの若者の失業率は21.9% (日本の若者の失業率は3.4% 2)。実は、サブティーさんも卒業後の就職が見つからず困っている当事者だ。また、農家の収入の少なさも課題だ。モロッコの全人口約3500万人のうち、貧困層と呼ばれる人たちが約1400万人。そのうちの60% 3の人は農業で生計を立てていることから、彼らの収入を増やすことができれば貧困問題の撲滅にもつながる。

 そこで、礒田教授らは、モロッコに昔から根付く食薬文化に目を付けた。地元で使われている植物を研究の対象にすることにしたのだ。「農産物の価値を上げたい。そのためには科学的根拠が必要」と礒田教授。科学的に証明された機能を表示された食品は、一般の食品と比べ消費者に選ばれ、高値でも売ることができる可能性が高まる。

 日本では、体に良い成分を含む機能性食品の研究を1980年代より世界にさきがけて行ってきた結果、研究ノウハウが蓄積している。そして私たち日本人の多くはこれらの科学的に裏付けされた機能が表示された食品を、健康維持や生活習慣病のリスクを下げるために、食生活に取り入れており、市場規模も年々拡大している。こうした技術や考え方をモロッコでも広げることにより、モロッコの農産物の価値を上げ、農業に関わる人々の収入を増やす。ひいては新たな産業もつくり、雇用を増やすことがプロジェクトの目標だ。

産地偽装を見破れ! 偽物「100%アルガンオイル」を見分ける技術を開発中

アルガンの実とアルガンオイル(写真提供:SATREPS)

 日本でも、女性を中心に美容オイルとしての人気が高まっているアルガンオイル。筆者も愛用しており、髪や手足が乾燥した時にさっと塗っている。

 アルガンオイルが採れるアルガンの樹はモロッコでしか育たないはずなのに、世界で流通しているアルガンオイルの量はモロッコの生産量を上回っているという。「100%アルガンオイル」をうたっていても、実はそもそも違う油が入っていたり、サラダ油などの他の油が混ざっていたりすることもあるそうだ。こうした「産地偽装」が横行した結果、本来モロッコの農家に入るはずの収入が入らない、という問題も生じている。

 そこで現在、礒田教授らはアルガンオイルに違う油が入っていないかを見分ける技術をつくろうとしている。アルガンオイルには特有の機能成分が3種類ほど入っている。それらの成分が全体のどれくらいの割合で入っているのかを調べることで、純粋なアルガンなのか、何かが混ざっているのかを見分けることができる。この技術が確立されれば、偽物のアルガンオイルの流通を防ぐことができ、価値をさらに高めることにつながると期待されている。

 プロジェクトでは、そのほか、アルガンオイルの美白効果やローズマリーの抗不安効果、デーツやヒヨコ豆の抗がん効果に関わる成分の発見やどれほどの効果があるのかの解析などに成功している。

研究成果は日本の人々の健康にも貢献~結果的には市場拡大によってモロッコの社会課題の解決にも貢献~

 モロッコの食薬文化を支える植物資源の研究は、モロッコが抱える課題を解決するだけにとどまらない。礒田教授らが同時にめざすのは「日本の健康寿命を延ばすこと」と、「日本の産業力をあげること」。日本が抱える課題も同時に解決しようとしているのだ。

 健康寿命とは、日常的に介護などを必要とすることなく、自立した生活を送れる期間のこと 4を言う。日本の平均寿命は世界トップレベルだが、平均寿命が長い分、人生の内約10年前後、寝たきりの状態で生活を送っている 5という。この寝たきりの期間を短くし、健康に過ごす期間を延ばすために、モロッコの食薬資源を役立てようとしているのだ。

 「モロッコをはじめ北アフリカに生える植物は、その気象や土壌の影響により、人の健康に非常に効果のある成分を多く含んでいるということが、研究を進めるうちに分かってきた。そんな食薬資源の魅力を、日本企業にもっと知ってほしい! そして日本の食品や化粧品産業などに取り入れていくのが非常に良いと考えている」

 現在、礒田教授らは、オリーブオイル製品をつくるモロッコの会社と共同研究を行っている。フランスやマレーシアなど国外では、すでに「"記憶力の高まる"オリーブオイル」として売られている製品でも、日本で機能性表示食品(例えばトクホ)として売る時には、安全性や機能性の科学的根拠に関する情報を消費者庁に届け出なければならない。
そこで、"記憶力アップ"の根拠を科学的に解明し、なんとか日本での販売に漕ぎつけようとしている。そうすれば、日本の人々もモロッコの機能性オリーブオイルなどを日常的に食べることができ、健康寿命を延ばすことができるかもしれないと期待している。

(2019年10月31日)


参考文献
1) 外務省 国別開発協力方針(旧国別援助方針)・事業展開計画 対モロッコ王国 国別援助方針(平成 24 年 5 月)
2) 総務省統計局 労働力調査(基本集計)平成30年(2018年)平均(速報)
3) JICA モロッコ王国貧困プロファイル
4) 日本介護予防協会HPよりhttps://www.kaigoyobou.org/useful_blog/2095/(2019年9月12日最終確認)
5) 内閣府 平成30年版高齢社会白書

インタビュー

ムアド・サブティーさん

左から、佐々木一憲先生、礒田博子先生、ムアド・サブティーさん

 食品の機能性研究は日本が得意とする分野。その技術を習得すべくモロッコから十何人もの留学生が日本に来て学んでいます。筑波大学大学院で学ぶ留学生、ムアド・サブティーさんと、その指導教官である筑波大学助教の佐々木一憲先生、そして礒田博子先生に話を伺いました。モロッコでとれるデーツという木の実は日本でもお馴染みのあのソースに入っている、という話や、研究の醍醐味など興味深いお話を聞くことができました。

『シリコンのタジン鍋があるなんて』 モロッコの文化は日本でも人気

森脇 サブティーさんの母国、モロッコについて教えてください。
サブティーさん 私はモロッコの古都マラケシュ出身です。ジャマ・エル・フナ広場は観光客にも人気です。中心にモスクがあり、その周辺にはスークと呼ばれる迷路のような市場が広がっています。また、北部の都市シャウエンは青色の壁の建物しかない「青の街」として、日本人の中で有名ですよね。私は、日本に来て、多くの学生がここを見るためにモロッコに訪れることを知り、大変驚きました。
礒田先生 モロッコのアルガンオイルや泥パックは世界的にも有名ですし、日本にもあるファッションブランド「ZARA」はモロッコの工場で作っていたりします。あとは、タジン鍋も日本で流行っている。モロッコ人に、『日本にはシリコンのタジン鍋があるなんて、日本はすごいな!』と言われたこともあります。

実はお好み焼きのソースにも入っている「アレ」を研究

デーツの実。スーパーフードとしても注目され日本のスーパーマーケットでも購入できる

森脇 サブティーさんはモロッコの大学で、どんな研究をしていたのですか?
サブティーさん 修士の時には、ナツメヤシの果実、デーツを研究していました。中でもイスラエルデーツという品種は高価なのですが、苗木の段階ではほかの品種との区別がつかないことが問題でした。植えてから実がなるまで10年ほどかかるので、実がなってから判断していては、時間的にもコスト的にもダメージが非常に大きい。そこで、種子の段階から品種を見分ける方法の確立に取り組んでいました。
礒田先生 ところで、デーツって知っています? 実は日本の「オタフクソース」にも入っているんですよ。

森脇 筑波大学に留学してからはどんな研究をしているのですか?
サブティーさん レモンバーベナという植物について研究しています。ハーブティーとして飲むことが多いのですが、リラックス効果や抗うつ効果があると言われています。しかし、どうしてそういう効果があるのか、そのメカニズムについては分かっていませんでした。そこで、リラックス効果のメカニズムと、成分量によって効果がどう変わるのかを細胞およびマウスを使って調べました。

日本の研究生活 "苦労したことはありません!!"

今では「実験時には必ず手袋」の習慣がついたサブティーさん

森脇 日本の研究生活で苦労したことは何かありますか?
サブティーさん 苦労したことはありません!!
礒田先生 指導教官の佐々木先生は苦労もあるんじゃない?
佐々木先生 サブティー君は日本に来るまで、細胞やマウスを実験で扱ったことがありませんでした。その点で、指導に苦労しました。そもそも、モロッコは実験設備が整っておらず、細胞を使う研究には適していませんでした。細胞を扱うときには手袋をはめて、無菌状態の場所で操作を行う、という基礎的なことも一から指導しています。

森脇 一緒に研究に取り組むモチベーションを教えてください。
佐々木先生 サブティー君たちと、モロッコの食薬資源研究を進めて来て、学生時代に自分が研究していたローズマリーの研究結果を振り返ったときに、モロッコなどの北アフリカ地域に生えているような食薬資源の効果はかなり強いんだな、ということに気が付くことができました。非常に面白いです。そういう点がこの研究を進めていく上でのモチベーションになっています。
森脇 大学で研究をする研究者にとってはモロッコと共同で食薬資源について研究できること自体が価値になっているのですね。

モロッコで研究できないのはもったいない!!

実験をするサブティーさん(左)と、見守る佐々木先生(右)。佐々木先生は初めて学生の指導に関わっており、将来的にも母国に帰った留学生たちと共同研究をしたいと考えている

森脇 サブティーさんは2019年12月に卒業されるそうですが今後どんな活動をしていきたいですか?
サブティーさん 筑波大学で学んだ実験の手法を生かして、母国に眠っている食薬資源の、機能解析をできる限りたくさんやっていきたいです。モロッコの農業に携わる人々は、貧しい人が多いのですが、研究を通して、より農産物が売れたり、高値で売れたりすることを目標にしています。
森脇 留学生への期待をお聞かせください。
礒田先生 モロッコはヨーロッパにも近いですし、アメリカへの留学も一般的です。そんな中わざわざ日本で学位をとるということは、丁寧な実験を心掛けるなど研究への姿勢も「日本式」を学んでいるので、それを忘れずにいてほしい。現段階では大学での就職は難しいけれど、我々も日本の研究環境や技術を移転することで、モロッコに研究基盤を根付かせようとしています。せっかく日本のような異国で学位をとったのに、モロッコでは研究できず、みんな他の国に行ってしまったらもったいないと思います。

企画・ファシリテーション

取材後記

科学コミュニケーター森脇沙帆

 取材後、ZARAに行ってみました。襟元のタグを見たところ、確かに「MADE IN MOROCCO」と書いてあり、密かに興奮しました。スーパーに売っているタコの多くがモロッコ産なのだ、という新たな発見もありました。
 よく「相手を知ることが国際協力の第一歩」という言葉を耳にします。私はその言葉を聞くたびに腑に落ちない思いがありました。でも、今回取材をしてみて、「知ること」が「第一歩」の意味がやっと分かったような気がしています。礒田先生のプロジェクトは、モロッコの食薬文化を知り⇒日本の技術を合わせることでモロッコの農業の価値上げに協力し⇒モロッコの食薬文化から学び⇒日本人の健康に生かす、というように「知ること」をきっかけとしていくつもの価値を生み出しています。そして、「国際協力」は、アフリカなどの途上国に一方的に支援することではなく、モロッコと日本がそれぞれの利益のために、お互いに協力し合って初めて成立するのだと納得しました。そのような気づきを与えてくださった、礒田先生、佐々木先生、サブティーさん、本当にありがとうございました。