タイトル
言葉の意味を離れたノンセンス詩はAIにわかるの?
出演
詩人 谷川俊太郎

出演者の紹介
谷川さんの詩は“声”に出して読むと不意に笑いがこみあげ、なつかしさや心地よさを感じます。
その谷川さんが、大量のテキストデータをもとにしており“声の表現”そのものは学習していないチャットGPT(生成AI)と邂逅し、お題を与えて詩をつくらせたり自身の詩を講評させたり、好奇心のおもむくままに遊びつくしてくれました。

著書の紹介
1冊目
『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波書店)
2冊目
 『詩に就いて』(思潮社)
 動画内でチャットGPTに入力した詩「おならうた」、「かっぱ」、「二十億光年の孤独」も収載されている自選詩集には、ひとことではあらわせない谷川さんらしさがあふれています。『詩に就いて』は動画のなかでも問いかけている“詩とはなにか”について説明文ではなく詩で表現を試みています。

チャットGPTを体験した谷川さんのコメント
―人間が分析してもつかめないものをAIがデータから見いだせたらすごい-
詩を読んでいても、いかにもいい詩なんだけどなんかぴんとこないみたいなことがあるわけ。
そんなところにどうもポエジー(詩情)ってものの秘密があるような気がするんだけど。
分析して分析して分析してもなんかつかめないものっていうのを詩は持っているはずなんですよね。
それは言葉を足して量をふやすとかえってわかんなくなっちゃって。
言いたりないところに、空間になんかあるみたいなね、
言いたりないから詩なんだ、というのがあるのね。
そういうことまでチャットGPTがわかるようになったらすごいですね。


―偶然と必然、自覚と無自覚―
大量のデータを元にしていれば思いがけないものが出てくる可能性はあると思いますよね。微妙なんだけど、それをポエジーとか詩と言えるのかどうかということはまたちょっと別なような気がするんだけど、どうなんでしょうね。

人間のふつうの脳で受けとれるものには限界があって、いい詩というのはそこではないところ(脳のちがう部位)でみんな何かを感じているのかもしれないと思うんだけど。  詩を書いていても、こんなの変じゃない?というところにいい詩が生まれることがあるんですよね。
自分でも全然理解できなくて、えっ?こんな言葉つかったっけ?というところで、あぁいい詩だってなっちゃうことがあるのね。
そこのところの境目って、ちょっとわかんないんですよね。
その判断っていうのは計算で出てきたものじゃなくて、どこかで一次元飛びこえてっていえばいいのかな。
詩と散文のちがいって、やっぱりそういうところなんじゃないかって思うんですけどね。