経済成長著しい東南アジアのタイは、エネルギー需要が高まる一方、自国の化石燃料資源の枯渇に直面しています。そこで、一年中温暖なタイの気候によって生まれた豊富なバイオマス(植物資源)を、エネルギー資源として活用する取り組みが進められています。ポイントは、バイオマスの種類を選ばず、使い勝手の良い液体燃料に転換できるかどうか。地球温暖化対策につながるだけでなく、農村の発展を願った前国王の遺志も引き継いだプロジェクトです。今回は、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の目標7「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」に注目して取材をしました。

(科学コミュニケーター綾塚達郎)

バイオマスからつくられた軽油

バイオマスで挑む、エネルギー不足と二酸化炭素排出削減

 世界トップ3に入る天然ゴムの生産量を誇るタイには、広大なゴムノキのプランテーションがいくつもある。栽培条件によるものの、15年ほどに一度は大規模な植え替えが必要なため、そのたびに大量の廃材が発生する。薪として直接燃やして利用されたとしても、使用用途は限られている。就業人口の約4割が農業を営む農業国のタイには、こうしたゴムノキを始めとした大量のバイオマス(植物資源)が存在する。バイオマスの有効活用はタイの重要な国策になっている。

ゴムノキ林。樹皮を傷つけて天然ゴムの原料を採取する

 背景にあるのはエネルギー不足の問題だ。タイは国内の天然ガス田に頼ってきたが、近年その貯蔵量が減少し枯渇の危機にさらされている。経済成長にともない石油や石炭などの輸入も行ってきたが、経済的な負担も大きくなっている。また、化石燃料を大量消費すると、地球温暖化の原因となる二酸化炭素を大量に出してしまう。パリ協定で、タイも排出削減に取り組むことを約束している

 こうした背景から、タイ政府は2015年、代替エネルギー開発計画(Alternative Energy Development Plan : AEDP)を発表した。この計画では、電力、熱利用、輸送燃料を含めた全エネルギー消費量に占める再生可能エネルギーの割合を、2014年時点では約12%だったものを2036年までに30%まで引き上げる目標を立てている。中でもバイオマスの位置づけは大きく、例えば自動車などに使う輸送燃料では、2014年には約6.7%の割合だったバイオマス燃料を、2036年には約25%まで引き上げる目標を立てている。

こうした野心的なバイオマス利用目標には、前国王の遺志も見て取れる。
 「プミポン・アドゥンヤデート前国王が、タイ国民の生活をより良く持続可能なものとするため、昔からバイオマス資源の利用に取り組んでこられたことの影響は大きいです」と、タイからの留学生で、富山大学工学部応用化学科、触媒・エネルギー材料工学研究室に所属するルンティワー・コソ―ルさん(28)は話す。
 いまなお国民から慕われる前国王は、国民、なかでも農民の生活向上のためのプロジェクトを数多く手がけた。1961年にはバイオエタノール用に適したサトウキビ品種に関するプロジェクト、1983年にはパーム油をバイオディーゼルに変換するプロジェクトを進めた。実際、国内のバイオエタノール消費量も年々増加しているという。

液体燃料化でバイオマスの弱点を克服

 そんなタイのバイオマス活用をさらに進めるために、2016年度、地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)の研究プロジェクト「バイオマス・廃棄物資源のスーパークリーンバイオ燃料への触媒転換技術の開発」が立ち上がった。富山大学工学部応用化学科、触媒・エネルギー材料工学研究室、教授の椿範立(つばきのりたつ)さんと、チュラロンコン大学理学部工学科、教授のタラポン・ビティサントさんが代表を務める。

左:椿範立さん 右:タラポン・ビティサントさん

首都バンコクの北東、サラブリ県に実験場のバイオマス燃料エネルギーセンターがある。(地図:©OpenStreetMap contributors)

 バイオマスは、燃やして熱としての利用や発電に使うのが一般的だ。こうしたバイオマスの利用には2つのハードルがある。1つ目は、原料となるバイオマスを集めるには大きなコストがかかることだ。バイオマスは石油や石炭と比べ、同じ量を燃やして得られるエネルギーが小さいうえにかさばる。このため、山林や農地の近くなどバイオマスを大量に集めやすい場所でエネルギーにする必要がある。2つ目は、つくったエネルギーを遠い消費地に届けづらいことだ。電力にしても、送電線を大規模に整える必要があり、コストが膨れ上がる。これらの2つのハードルによって、バイオマスは“地産地消”が基本で、活用に適した場所が限られてしまっているのが現状だ。

バイオマスを集めるハードルとエネルギーを届けるハードルがある

 そこで今回のプロジェクトが注目するのが、FT合成(フィッシャー・トロプシュ合成)と呼ばれる方法だ。バイオマスを蒸し焼きにして出来た一酸化炭素と水素の混合ガスを、触媒反応を使って軽油やガソリンなどの液体燃料に変換することができる。液体燃料は運びやすく、山林や農地から遠くにある首都圏や工業地帯などでの使用も期待できる。

FT合成プラント

 「燃やせるバイオマスはほぼ全て使えます。バイオマスの種類に合わせて燃焼条件を調整するのは大して難しいことではありません」
 椿さんはこう強調する。蒸し焼きにして一酸化炭素と水素が発生するものであれば何でも原料として利用できるのが強みだ。農業国タイでは、あらゆるバイオマスが大量に手に入る。

木材チップ製造工場。大量のバイオマスを砕いて使いやすくしている

ゴムノキから作られたペレット

 さらに、このプロジェクトでは二酸化炭素の排出が抑えられていることも大きな魅力だ。全体の工程で出てくる二酸化炭素の量は、バイオマスをつくり続けたときに吸収する二酸化炭素の量よりも少ないことが報告されているという。このプロジェクトで作った軽油でディーゼル車を走らせれば二酸化炭素をほぼ排出しない計算となる。

成否のカギを握る触媒技術、都市のごみも原料に

 バイオマスを利用したFT合成は、世界的に見るとまだ普及が進んでいない。天然ガスや石炭、原油といった化石燃料と比べると、まだ価格競争で負けてしまうからだ。
 このためプロジェクトの成否のカギを握るのが、椿さんの研究室が得意とする触媒の研究開発だ。この触媒は、一酸化炭素と水素の混合ガスを液体燃料に変換するのに必要となる。2018年には、コバルト系カプセル触媒という特殊な触媒の開発に成功し、世界的に有名な学術雑誌にもその成果が掲載された。触媒の構造を変えることで、原料として必要なコバルトの量を大幅に抑えることに成功した。コバルトはレアメタルの一つで価格も安くはない。今までのコバルト触媒では全体の重さの30~40%のコバルトを使用していたところ、今回の開発で5~10%以下まで削減することが可能となった。
また、椿さんの研究室が開発する触媒には他にも鉄系触媒、銅亜鉛系触媒などいくつもの種類がある。実は、こうした触媒を使い分けることで、FT合成で得られる液体燃料の種類を変えることが出来る。
椿さんは「メタノール、軽油、ガソリン、ジェット燃料など、現地のニーズに合わせて様々な生成物を選べることもFT合成の大きな強みです」という。

バイオマスを使ったメタノール合成反応後の銅亜鉛系触媒

 今後の展望として、バイオマス以外にもごみとして大量に出されるタイヤやプラスチックもFT合成の原料として使う研究が進められている。こうした研究が進めば、バイオマスが大量にある農村部だけでなく、都市部でも液体燃料を作ることが出来る。

都市部から大量に出る廃棄物も原料になる

 椿さんは「FT合成は燃やせるものがあれば地域を選ばず応用することが出来ます。世界的にもインパクトが非常に大きく可能性を秘めた技術だと思っています」と話している。

(2020年5月7日)

インタビュー

ルンティワー・コソ―ルさん

富山大学工学部応用化学科、触媒・エネルギー材料工学研究室では毎年多くの留学生を受け入れている。タイからの留学生、ルンティワー・コソ―ルさん(28)もその一人だ。ルンティワーさんは、バンコクにある名門チュラロンコン大学で、パーム油をつかったバイオディーゼル燃料の研究を行っていた。修士号を取得したのちSATREPSの研究プロジェクトを通して来日した。クリーンエネルギーの開発に向けて日夜研究に取り組むルンティワーさんに研究室で話を聞いた。

ルンティワー・コソ―ルさん

「バイオ燃料の利用に熱心だったプミポン前国王にあこがれて今の研究の道に進みました」

綾塚 チュラロンコン大学と富山大学それぞれでバイオマスを液体燃料にする研究を行っていますね。取り組み始めた背景は何ですか?
ルンティワーさん プミポン・アドゥンヤデート前国王へのあこがれが大きいです。プミポン国王は多くの慈善事業を自ら行い、国民から絶大な信頼を得ていました。バイオマスをエネルギー源として利用するプロジェクトもそのうちの一つです。

綾塚 どんなプロジェクトですか?
ルンティワーさん たくさんあるのですが、例えば、バイオエタノール用のサトウキビを王宮に植えて研究を進めていました。こうした研究が活かされ、2001年にはバイオエタノールが広く使われるようになっていきました。E20といって、燃料全体の20%にバイオエタノールを混合した自動車燃料なども今では一般的に使われています。

自席にはプミポン前国王の写真が飾られている

「二酸化炭素を液体燃料に変換する研究で地球温暖化防止に貢献したい

綾塚 日本で行っている研究について教えてください。
ルンティワーさん 触媒を使って二酸化炭素と水素の混合ガスを液体燃料に変える研究をしています。一酸化炭素と水素の混合ガスを液体燃料に変える方法としてはFT合成(フィッシャー・トロプシュ合成)が有名ですが、二酸化炭素を使った方法はまだ確立されていません。この研究がうまくいけば、地球温暖化防止にも貢献できるので大きなやりがいを感じています。

綾塚 どんなところが難しいですか?
ルンティワーさん 二酸化炭素はとても安定した気体なので、なかなか狙った通りに液体燃料に変化しません。圧力や温度の条件など調整してはいるのですが、難しいですね。壁にぶつかったときは同じ研究室の大学院生とよくディスカッションをしています。お互いを高め合っていける環境がありがたいです。
綾塚 皆さん熱心ですね。
ルンティワーさん はい、研究生はみんな研究熱心です。実験施設はいつも混み合っています。共同で使っている実験器具はものによっては3か月待ちになることもあるほどです。私も負けられないと思い、この分野の勉強と実験、論文執筆に毎日取り組んでいます。

綾塚 日本での生活はどうですか?
ルンティワーさん 富山の人はとても優しいですし、警察官など街のパトロールの方々も真面目なので安心して過ごせています。町がきれいなのも良いですね。例えば公衆トイレはどこに行ってもきれいです。タイの公衆トイレもきれいなところはありますが、ここまで全てきれいというわけではないです。また、富山の川は昔、公害問題に悩まされていたと聞きますが、克服して元どおりの川に戻せているのが素晴らしいと思います。魚をはじめとした食べ物もとても美味しいです。

実験室のようす。様々な実験用装置が使われている

「日本で得た知識と技術で広く社会に貢献したい」

綾塚 どのような進路を考えていますか?
ルンティワーさん 博士号取得後もしばらくは日本で研究を続けたいと思っています。日本は技術力が高い上に、研究熱心で責任感のある人が多くいます。こうした環境での活動は自分の人生にとって貴重な財産になります。将来はこうして得た知識や技術をたくさんの人に共有したいと思っています。自分自身や家族だけでなく、社会の役に立ちたいと考えています。

綾塚 最後に、この記事を読む読者、特に日本の高校生へメッセージをお願いします。
ルンティワーさん ときには壁にぶつかって、もう駄目だと思うことがあるかもしれません。ですが、人生はわからないものです。落ち着いて、いつも通りの笑顔で周りの人と幸せに過ごしていれば道は開けます。
Don’t be unhappy in your life!(前向きに楽しく生きよう!)

左:ルンティワー・コソ―ルさん 右:椿範立さん

<取材協力・写真提供>

椿範立さん

富山大学 工学部 応用化学科 触媒・エネルギー材料工学研究室 教授

ルンティワー・コソ―ルさん

富山大学 工学部 応用化学科 触媒・エネルギー材料工学研究室 博士課程学生

企画・ファシリテーション

取材後記

科学コミュニケーター綾塚達郎

取材前、私はバイオマスに対して、扱いづらく活用が難しいもの、というイメージを持っていた。しかし、今回の取材を通してそのイメージをひっくり返された。FT合成の原料にバイオマスを使うアイデアと洗練された触媒技術によって、今まで有効に活用するのが難しかったバイオマスもエネルギー源として活用できる。これこそまさに21世紀に求められる技術革新だと感じた。また、タイ王国でのバイオマス活用の裏にはプミポン前国王が主導する地道な取り組みの歴史があったことも大きな学びの一つだ。いざ大きな動きを起こそうと思っても、経済や既存の社会の仕組み、考え方を変えていくのは簡単ではない。私たちも持続可能な開発目標の達成に向け、一歩一歩着実に対策を積み重ねていかなければならない。