博士の資料より

皆の未来に役立つ空間情報科学を求め、
博士たちは6人の研究者に会いにいきました。

File.02 人の状態から情報を得る技術

私たちの体を見守る、情報絆創膏

私は、人の生体情報をセンシングする装置「イキトイキ」を開発している。生体センサーを小型化する方法を検討していた時、ある筋から、何種類ものセンサーを搭載した「絆創膏型生体センサー」のサンプルを入手した。早速、これを作った研究者を訪ねた。

2011年某日 兵庫県立大学工学部にて

私たちの暮らしを支えるMEMS
博士
先生の作られた「絆創膏型生体センサー」を、アナグラの私の机に収納しています。かなり小さくて驚いたのですが、あれは試作品なのでしょうか。
前中
あれは実は、これじゃダメですよ、というつもりで作ったものなんです。
博士
え!?あれではダメなんですか?
前中
あの試作品は、"現在"の技術で作るとこうなる、ということを示したものです。我々は、JST(科学技術振興機構)が実施するERATO(戦略的創造研究推進事業)という5年間のプロジェクトの枠組みの中で研究開発をしているのですが、今が4年目ですので、残り1年で最終的な成果をまとめ上げる予定です。我々が目指しているのは、MEMS(メムス:Micro Electro Mechanical Systems)の独特の技術を活かした生体センサーなのです。
博士
MEMSとは何でしょうか。もっと詳しく聞きたいです。
前中
MEMSとはごく簡単に言って、微小なメカ(機械構造)と微小なエレキ(電気回路)をひとつに集積した超小型システムのことです。コンピュータ中の半導体チップを生成するのと同じ技術を用いているので、微細加工が可能で、安価に大量に生産できるという特徴があります。例えば、角速度(回転するスピード)を測って、乗り物などのバランスを保つ"ジャイロスコープ"という計測器があります。飛行機や宇宙船に搭載する精度の良いものは非常に大きいのですが、これをMEMS技術で作ると、精度は多少落ちますが、数ミリ角の小型ボタン程度に小さくなります。これだけ小さくなると、例えば、カメラの手ぶれ補正や自動車の横滑り防止システムに使ったり、ゲーム機のモーション入力に使ったりと、日常の中に用途が広がっていくんですね。実は、世の中のいろいろなところにMEMSセンサーが入っていますが、目立たないので知られてないのです。
博士
私たちはMEMSに囲まれて生活しているんですね。
絆創膏型生体センサーの完成形
博士
それでは、絆創膏型生体センサーは、近い将来どのような姿になるのでしょうか?
前中
ERATOプロジェクトでは、小型化が最大の狙いです。現試作品では個別のセンサーをバラバラに配置していますが、今開発を進めている、多種のセンサーをひとつに集合化したMEMSモジュールを使えば、さらなる小型化が可能になります。絆創膏型ですから、特に、貼ったときの厚さが気になりますよね。ですから、膜のように薄くすることが重要で、厚さ1〜2ミリ内に収めることが目標です。搭載する予定のセンサーの種類は、体温、脈拍、血圧、発汗、運動量(三軸加速度)の5つの人体データと、気温、気圧、日照、湿度、騒音の5つの環境データの合計10種類です。
博士
これから薄く小さくしていくのに、どんな技術的な課題があるのでしょう?
前中
最も障害になるのが電池です。ある程度の時間、連続運用できるだけの電池を搭載するとなると、どうしても厚みが出てしまう。そこで検討しているのが"パワー・ハーベスト"という発電機構です。発電の仕組みがあれば、電池を載せる必要がありませんよね。具体的には、ひとつには「ピエゾ素子」という圧電素子を使って実現しようと考えています。圧電素子とは、歪みを受けた時に電圧を発生する材料のことで、加速度センサーとして使うのと同時に、生体の運動に伴う振動を発電に応用できれば一挙両得ですよね。ただし実現にはまだ時間がかかりそうで、これはプロジェクトの中で完成させるというよりも、中期的なテーマとして取り組んでいます。それから、電気の元である電荷をため込んだ「エレクトレット」を使った発電素子も研究を進めています。光が当たる場所に貼り付けられるのなら太陽電池も現実的な候補ですが、当面は、薄膜電池で対応しようと思います。
生体データから分かること
博士
絆創膏型以外の形状も考えていますか?
前中
バリエーションとして想定しているのは、イヤリング・タイプです。実現可能かどうか分かりませんが、指輪タイプやイヤホンタイプという話もあります。そうした形状を考えている理由は、耳や指先のような心臓からちょっと離れた場所というのは、血流を見るのに適しているからです。すなわち、絆創膏型センサーを胸に貼り、心拍がドキンといってから、耳や指の血管が反応するまでの時間を見たら、血圧に対応する量が分かるのです。
それから、マウスピースのようなタイプも考えています。口の中は、食べている、喋っているといった情報を取得しやすいんですね。全体の歯の2、3本までなら、入れ歯に埋め込むこともできるでしょう。歯の動きから、コミュニケーションがちゃんと取れているかとか、鬱(うつ)の傾向がないか、といった精神状態を推定できるかもしれません。
博士
生体データを解析すると、いろんなことが分かるんですね。他にどんなことが分かるのでしょう。
前中
世間一般で言われていることはたくさんあります。例えば、脈拍の揺らぎから周波数成分を分析すると、交感神経と副交感神経の状態、すなわち、ストレスを感じているのか、リラックスしているのかが分かる。あるいは、寝ている時に生体データを取ると、レム睡眠とノンレム睡眠が分かるので、良い目覚めのタイミングが分かるといった類のものです。しかし、何を調べたら本当に何が分かるか、というのは、正確なことはまだ誰も分かっていません。それは世の中に、1年間通常生活を行いながら連続して取り続けたデータがないからです。ですからデータを集めることと、それを分析することが大切なのです。我々がそのためのハードウェアを、まず完成させます。そこから出てくるデータをどう役立てていくか、このプロジェクトの後で、社会の皆さんと共に考えていきたいと思います。
生体センサーがもたらすもの
博士
そのためには普及させることも大切ですね。
前中
その通りです。普及のためには安く、小さくすることが大切です。よく「単に安くなっただけじゃないか、小さくなっただけじゃないか」と言う人がいるのですが、それが桁違いに安く、小さくなると話は違います。1桁変われば世の中が変わるし、2桁変われば新しい文化ができる、と私は思うのです。絆創膏型センサーが、使い捨てコンタクト並みの価格になって、コンビニで売られ、2~3週間使ったら剥がして捨てる、という世の中を想像してみてください。携帯電話が文化を作ったように、健康管理や安心・安全などの分野など、あらゆるところで新しい文化が生まれると思います。
博士
完成が楽しみになってきました。では社会に普及させるために、どのような課題があると思いますか?
前中
私が生体センサーを作りたかったのは、客観的に自分を見てみたかったからです。自分も含めて、人間という生き物って面白いですよね。そう思って、私が実験台になって24時間生体センサーをつけていたことがあるんですよ。そこで分かったのは、プライバシーが丸裸になるということです。寝返りを何回した、タバコを吸った、トイレに入ったといった肉体的状況だけでなく、例えば、運動していないのに心拍が急に変化したら、突発的な精神的ストレスを感じているのかもしれない、といった精神的状況までデータから分かってしまう可能性があります。ですから、生体情報は、完全にプライバシー情報です。加工するにしても、蓄積するにしても、情報をしっかり管理することが必要です。
博士
なるほど、よく分かりました。アナグラに帰ったら、「ワカラヌ」の博士に相談してみます。
絆創膏型生体センサーの試作品 絆創膏型生体センサーの試作品

未来館の常設展示「アナグラのうた」に展示している、絆創膏型生体センサーの試作品。大きさは11cm×3cm。6種類のセンサーを搭載したセンサーユニットと、通信ユニット、電源ユニットからなる

生体センサーから得られるデータの例 生体センサーから得られるデータの例

前中先生自身が被験者となり、生体センサーを胸ポケットに入れて取得したデータ。このデータを見ると、例えば、湿度が急激に上がっていることから洗面所に入った、動きが急に静かになったのでトイレに入った、といった行動が推測できる

前中一介
前中 一介(まえなか かずすけ) 兵庫県立大学大学院工学研究科電気系工学専攻教授。1959年生まれ。84年豊橋技術科学大学大学院情報工学専攻を修了し、同年、同大学の電子デバイス大講座教務職員。89年より神戸市立工業高等専門学校にて電子工学科講師の後、93年より姫路工業大学工学部電子工学科助教授。部門改組・大学名改称を経て現在の大学及び専攻の回路システム部門所属となる。2007年教授に就任、現在に至る。センサの高機能化・集積化、多次元センサとその応用、MEMSデバイスに関する研究に従事。08年よりJST、ERAROプログラム、前中センシング融合プロジェクト総括。
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