2023年11月22日に公開された常設展示「老いパーク」。「老い」を科学の文脈で真正面から捉える展示の制作は、世界でも珍しく挑戦の連続でした。この展示では、科学技術の発展や社会の変化とともに大きく変わりつつある老いの「捉え方」に着目。展示体験を通して伝えたいのは、超高齢社会を迎える中、私たちはどのように「老い」と付き合っていけばよいのかというマインドの持ち方です。展示のねらいと科学的な背景、託した思いを、総合監修者と展示制作担当に語ってもらいました。

語り手

総合監修 荒井秀典氏(国立長寿医療研究センター 理事長)
展示担当 野口朋子、坂下実千子(ともに日本科学未来館 科学コミュニケーション室 スタッフ)

左から野口朋子、荒井秀典氏、坂下実千子

それぞれの「Well-beingな老い」を考える

──そもそも、なぜ科学館で「老い」を取り上げたのか、企画側ではどのような経緯があったのでしょう?

野口 2021年に浅川智恵子が日本科学未来館(以下、未来館)の館長に就任するにあたり、未来を考える入口となる4つの重点領域を定めました。「Life(ライフ)」「Society(ソサエティ)」「Earth(アース)」「Frontier(フロンティア)」です。

「老いパーク」は「Life」領域のアウトプットとして企画が始まりました。

「Life」とは人間、生物全体を指し示すものであり、広大な領域です。その中で、私たちが誰しも経験する「老い」は、社会に広く共有されている普遍的な課題でもあります。

未来館は一人ひとりが未来を考え想像する場所を目指すという浅川のビジョンがありましたので、ライフサイエンスの領域のなかでも「老い」がテーマの一つとして上がってきたという経緯です。

ただし、サイエンスミュージアムである未来館が「老い」を扱うにあたって、どこまでを展示の範疇とするかは、展示チームでずいぶん検討を重ねました。

老いの課題は、一般的には社会システム上の課題として語られる機会が多いですよね。社会的課題としての老いに着目すると、政治や経済の要素が強くなってしまいます。

また、アンチエイジングと限定してしまえば、加齢で衰えることが悪いことのように捉える風潮を助長しかねません。

「老いパーク」の展示空間

坂下 私たちは、科学技術を発信するミュージアムとして、できるだけフラットな視点から老いを捉えることを重視しました。手がかりになるのは、やはり科学です。

社会において「年を取ったら嫌だ」「できなくなることが増えて不安だ」というふうに、最近は「老い」という言葉の持つイメージが悪くなっている印象があります。

けれども、科学で捉えれば、ポジティブでもネガティブでもない、経年変化が「老い」という現象です。

まずは、展示を通して科学的な知見に触れ、来館者がどんな風に身体の老化とうまく付き合っていけばいいかに思いをめぐらすこと。その上で、それぞれが「Well-beingな(自身の望ましい)老い」を考えてみること。

そうした「老いとの付き合い方」のヒントになるような展示を目指そうと、チームで目標を定めていきました。

100年強で寿命が倍に。科学的な検証が大切

──科学の領域では、「老い」はどこまで解明されてきたのでしょうか?

荒井 生体における経年変化が、科学の文脈における「老い」です。人間を含むすべての動物がいずれは経験することであり、1秒ごとに我々の体は老化しています。

ところが、そんな普遍的な問題でありながら、「なぜ老いるのか」という老化のメカニズムは、科学の世界では完全には解明されていないんですね。

インタビュー中の荒井氏

荒井 たとえば、戦後の昭和の家族を描いた漫画「サザエさん」。ここに登場する波平さんは54歳ですが、いわゆるおじいさんの見た目です。

でも、今そのぐらいの年齢に差し掛かっているかつてのトレンディドラマの俳優さんなどは、全然おじいさんという感じではない。たかだか70年ほどの間に起きた急激な変化に驚きます。

ではなぜ、これだけ短期間に人は変化したのでしょうか?これは、科学でしっかり検証する必要があると考えています。

今は「人生100年時代」とも言われますが、データ上、平均寿命が伸びていることは明確です。明治40年間の平均寿命が44歳までと言われていますが、今は84歳ですので、この100年ちょっとで寿命が倍に伸びたわけです。

さらに最近、日本人は平均寿命だけでなく、健康に長生きすることができる「健康寿命」でも世界に引けを取らないことがわかってきました。

健康寿命が長い群の特性を調べることにより、どこに優位性があるのかというメカニズムを科学的に明らかにしていくことも、重要な研究領域になってきています。

老い方は人それぞれであることがわかるよう工夫した

──老いの研究は世界でどのように展開されていますか?

荒井 2009 年から 2011 年にかけてフィンランドで認知機能障害予防のための「FINGER(フィンガー)研究」が行われ、2015年にその結果が発表されました。

この研究が画期的だったのは、高齢者の生活習慣への介入により、軽度の認知機能障害の進行を抑制することを世界で初めて証明したことです。

食事指導、運動指導、認知トレーニング、生活スタイル指導の「4 つの介入」を同時に行うことが特徴で、今、この研究が世界中に広がっており、50カ国以上で実施されています。

2019年から日本でもその一環の研究が行われていて、私が在籍している国立長寿医療研究センターが代表機関としてその研究グループに参加しています。

531人の被験者のうち、積極的に運動教室に参加した集団に「4つの介入」を行うと、やはり認知機能の低下を抑制することができるとわかりました。

科学検証の積み上げで、「日々の努力でなんとか対策を講じることはできる」「老化のスピードを遅くすることができる」ということがわかってきたんです。

インタビューの様子

──少しずつ分かってきた「老い」。今回の展示ではどんな特徴があるとお考えでしょうか?

荒井 これからは、加齢に伴う変化のメカニズムを科学の目で捉えることによって、さまざまな病気の予防ができるかもしれません。

また、身体の機能が衰えてきたとしても、テクノロジーの力を駆使することで、解決することが増えていくかもしれません。ソリューションというのは、常にバージョンアップされていくでしょう。

たとえ未来館でどれだけ最先端の科学を展示したとしても、科学も技術も医療も刻々と進んでいきますから、先の未来には今とは違う老い方を人類が経験することになるかもしれません。

だとしたら、展示において重要なのは、あらゆる環境が変わる中でも、「老いをどう捉えていくか」という考え方のエッセンスが持ち帰れることではないかと。

「老いの捉え方や対策の方法は、それぞれ自身の望みで選んでいいものなんだ」というヒントを伝えていくことに意義があると未来館の制作陣は考えたわけです。

展示の最後には自分らしい老いをアウトプットするコーナーを設けた

──総合監修のオファーを受けてどう感じましたか?また、科学館で「老い」を展示する意義とは?

荒井 科学館の展示で、あらゆる世代が老いについて最先端の科学に基づく知識を得られ、考える機会が持てるということは願ってもない素晴らしい機会だと、すぐに総合監修をアクセプトしました。

医学教育では、早い段階で多様な専門知に接することを「アーリー・エクスポージャー(Early Exposure)」というのですが、私は医学部だけでなく、社会のあまねく人が「若い時からできる限り老いに伴うさまざまな諸問題に触れる機会を持っていただきたい」と考えてきました。

小学校ぐらいのできるだけ若い時から自覚して加齢への対策に取り組むことによって健康寿命の延伸を測ることができると考えているからです。

制作過程では監修者も交えて何度も試行会を行った

坂下 私たちはいつも「科学的に正しい表現」と「より多くの人が受け取りやすい表現」とのバランスをとることに苦労するんですが、加えて今回は「老い」という受け取り方に年齢差のあるテーマ。表現の照準をどこに合わせるか葛藤していたなか、荒井先生からは「子どもでも理解できるテキストにしよう」という心強いお言葉をいただきました。

展示パネルは図なども組み合わせながら平易でわかりやすい表現を心がけ、荒井先生と何度も推敲を重ねました。そのおかげでより幅広い年齢の方に楽しんでいただける展示になったと思います。

何度も推敲を重ねた展示パネル

荒井 ネガティブに語られがちな「老」という漢字の語源を調べてみると、ポジティブでもネガティブでもない言葉。だから私は展示でも嫌厭せず、あえて「老」という漢字を使うようにアドバイスしたりもしました。

ご来館いただいた方たちには、ぜひ豊かで自分らしい生き方・老い方を考えるきっかけとなる体験を持ち帰ってもらえたらと願っています。

「老いパーク」の展示空間

企画・ファシリテーション