情報デザインの発見と教育改革

「かたち」をつくるための学びは美術大学で行なわれ、これまでプロダクトデザインやグラフィックデザインが、ものごとの多様なかたちを創造してきた。そこに新しく「情報」という、見えず、触(さわ)れない素材が現れた。そんな素材に、美しく、わかりやすいかたちを与えることもデザイナーの仕事になっている。プロダクトデザインを専攻していた須永氏が、「情報デザイン」という未知なる領域を発見したのは、異分野との出会いからだった。

デザインの思考を数字にする統計解析学の観点

話は1980年代初頭に遡る。デザイナーの仕事は人々が美しいと感じるかたちを創ることだ。プロダクトやグラフィックのデザインにおいて、美しいかたちを創り出すことはできる。しかし、「美しい」がどこから生まれてくるのかは、明らかになっていなかった。いや、それはデザイナーがつくりだすものだと教わってきた。

しかし、それだけで美しいかたちは創れない。デザイナーたちが創り出すかたちにも論拠があるはずだ。でも残念ながら、かたちを創り出した本人たちもそれを明らかに示すことができないでいた。そのことにもどかしさを募らせていた須永氏は、目の前にあるかたちの論拠に気づいた。

あるとき、心電図検査機のデザインを行なうことになり、学校の集団検診を観察に行った。保健室に並んだ検査機械の後ろから剥き出しになったヤマタノオロチ状態のケーブルが床に垂れている。そのケーブルの一部が自分たちの横になるベッドまで届いているのが見える。保健室に順番に入ってくる子どもたちが、それを見て不安な顔をしている。

「僕はそのとき、デザインは人間と道具の関係を制御し、規定しているとわかったんです。そして、その関係性こそがかたちの論拠だと納得したんです」。この理解が、以後の活動の方向を決めた。

デザインを、人間と道具の関係という観点から勉強し直すべく、須永氏は筑波大学大学院芸術研究科に進む。そこで、デザイナーが扱う問題を統計解析学によりモデル化する研究にとり組んだ。

たとえば、複写機なら、それを使う人々と複写機はどんな関係をつくり出しているのだろう。道具が音や熱を出すので近くで仕事をしている人々が不快に感じること。厚い本を複写するときに蓋がじゃまになること。紙づまり時に、手を火傷するほど熱い部品が機械の中にあること。そんな使用者と複写機の関係が、複写機の機能や形をデザインするための課題になる。このような関係群をデータとして扱い、解析的に構造化し、両者の良い関係を合理的にデザインすることができると考えた。

「美大とは全く違う脳みそを使って勉強する中で、人間と道具の関係に新しい種類があると気づきました」。須永氏は当時をふり返る。 「そうです、コピーを撮ろうとする使用者は、複写機の前に立って、まずコピーのサイズを選び、枚数を設定します。また、最初に前の設定がリセットされているかどうかを確認することも忘れません。つまり、人間が身体ではなく、頭を使って複写機と対話をするという関係がそこに生まれているのです。これは人間と機械の「知的なかかわり合い」という未踏の問題でした。1981の夏、これが世界中を見渡してもまだ誰もとり組んでいないデザインのまったく新しい領域であると確信をもちました」。

須永氏が情報デザインの世界に関わるのに影響を受けた本。
須永氏が情報デザインの世界に関わるのに影響を受けた本。左から、「On the Internet」Hubert L. Dreyfus 著 Routledge 2001年、「Understanding Computers and Cognition: A New Foundation for Design」Terry Winograd, Fernando Flores著 Addison-Wesley (C) 1987年、「認知科学への招待」渕一博編著 日本放送出版会 1983年、「認知科学の方法」佐伯胖著 東京大学出版界 1986年

人間工学で解けない問題に対して

新たに見えてきた未踏のデザイン領域。しかし、人間工学のような形状や力を扱う学問を応用しても、歯が立たない。一体どうやってこの問題をとらえ、デザインするのだろう。 突破口は、そのころ認知科学研究の波を起こしていた佐伯胖教授や海保博之教授との出会いだった。当時の認知科学は創生期。言語学、哲学、心理学、コンピュータ科学などが渾然一体となった日本認知科学会ができたばかりだった。

「海保先生に、たとえば家電のボタンを配置する場合、人間工学に匹敵するような人間側(認知科学)の論拠はあるんでしょうか?と尋ねると、『あるんだよ。須永君、これからそれをやるんだよ』という答えが返ってきたんです。認知科学は、「わかる」とは何かを問う学問。「わかること」のメカニズムが手に入れば、ボタンの並べ方がデザインできるはずだ」と。

生まれたての日本認知科学会は、デザイン分野の須永氏を受け入れてくれた。そこで知り得たのは「知識は混ざることで次の知識を生み出す」という「すごい教え」だった。 「違う言葉を喋るメンバーがあつまる。でも全員が同じ関心を持っている。ごちゃまぜの知の環境で、ありとあらゆる分野の知性がそこに沸き立っていました」。

この新しい課題をデザインの問題として探求した成果とそのアプローチを、教育の場に導入する機会が訪れた。1989年に始まった多摩美術大学の、情報デザインの実験プログラムだ。海外の客員研究員を経て多摩美に戻った須永氏は、精力的に教育プログラムの開発に携わった。

時期を同じくしてコンピュータがさまざまな業務世界に広がり、増産され、仕事と生活をとりまくあらゆる事態に浸透する。それに応じてデザイナーに求められる“情報にかたちを与える”知識とスキルの需要は一気に増大していった。この教育プログラムは9年の準備期間を経て、先端的なデザインの学び場として、1998年、日本で初めての「情報デザイン学科」へと結実した。






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