“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

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#04-2:児玉幸子 (アーティスト)

2008年5月27日

科学とアートが一人のなかに共存するわけ(2)

2.jpg メディアアーティスト、児玉幸子さんをゲストに迎えた対談の後半。磁性流体でつくり出す作品の根源にあるものとはなにか。物理学科を卒業し、現在では芸術家や母親としての顔ももつ幅広い体験の中で育まれるものとはなにか。そして、児玉さんが語る「アート心をもった研究者」とは・・・? (文=阿蘭ヒサコ、豊永郁代、撮影=邑口京一郎)

こだま・さちこ
電気通信大学人間コミュニケーション学科准教授/北海道大学理学部卒、筑波大学大学院芸術学研究科修了、博士(芸術学)。2000年より磁性流体を応用したメディアアート作品を発表。文化庁メディア芸術祭大賞のほか、国内外のコンクールで多数入選。新しい芸術表現の分野を開拓している

作品紹介
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「呼吸するカオス」
誕生したご子息に捧げるとうたわれたショートムービー作品「呼吸するカオス」(DVD 8分11秒)より
2004年、児玉幸子 サウンド:小倉一平 協力:竹野美奈子、田辺誠
→磁性流体のアートプロジェクト「突き出す、流れる」:[呼吸するカオス]のページへ

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「波と海胆」
磁性流体を、小さな「海胆(うに)」と見立てた作品。瓢箪(ひょうたん)型の池で、2匹の海胆が遊びます。海胆は手に近寄ってきたり、おっかけっこしたり・・。写真は「雨降り」のシーン。
2003年、児玉幸子・佐藤恵理奈・山田理恵子ほか児玉研究室メンバー
協力:電気通信大学情報システム学研究科小池研究室、竹野美奈子、電気通信大学技術部
写真:高田洋三
→磁性流体のアートプロジェクト「突き出す、流れる」:[波と海胆]のページへ

多面性を表現する「磁性流体」
佐倉

児玉さんの、「制作の工程も自分でやる」という方法論は、どういうポリシーから来てるんでしょう。

児玉

芸術家も科学者も、それぞれの専門家であると同時に一人の人間であり、本来いろんな顔をもっているものですよね。ある人が「芸術家」や「科学者」だというのは、“見方”の問題にすぎない。人間というのは多面的な存在であるはずだと思います。そういう意味で、私は芸術家が同時に“ほかのもの”であることを実現したいんですね。例えば、芸術家でありつつ、科学的な方法論ももち、また母親でもあり、一市民である……そういう多面性の受容を自分の仕事のなかでも実現していきたいんです。何かを犠牲にしてとか、これだけをやるとかじゃなくて。

佐倉

そういう児玉さんの考えに、磁性流体がはまるんですね。

児玉

そうなんです。液体という本来形をもたないものが、姿を変えていく。そして見る人によって解釈が異なる、という部分に共感できるんですよ。磁性流体のことを最初に知ったとき、当時、コンピュータグラフィックスやホログラフィの作品を見慣れた目にとって、その素材感というか、生命感、テクスチャーがすごく新鮮でした。

佐倉

最初に磁性流体の作品を拝見したとき、なんだか生き物みたいだと思いました。と同時に、表面のギザギザがさっと引いて、緊張状態が解けたときの感じが、操り人形が弛緩したときのような感じがしたんです。何かそういう意図はあったのですか?

児玉

うーん。生き物のような動きをつくりだす、というのは意識してそう見せたいと思ってましたが、パペットみたい、……でしたか。

佐倉

ま、まずいっ! なんか失礼なことを言ってしまったようで……。

児玉

いえいえ(笑)。あの、確かに人の形にはしたいんですよ。今は螺旋形ですが、人や動物のような形にして、表面をトゲトゲが覆っている流体彫刻「パルサーシリーズ」というのを2008、2009年に作りたいと思ってるんです。でも、そうすると、もっとパペットっぽくなりますね。それが弛緩すると、見る人にとってはゾンビのようになるってことですよね。うーん。それって恐ろしいけれど、すごくインパクトありますね。

佐倉

4月24日から、日本科学未来館にも児玉さんの磁性流体の作品が展示されているということですが(注8)。

児玉

ええ。磁性流体のプロジェクトには写真や映像も含まれているので、写真でしか見られないものもお見せしています。瞬間的に液体を撮ると、裸眼では見えていない形が見えます。400分の1秒とか速いシャッタースピードで撮ると、ミルククラウン(注9)も綺麗ですが、磁場の中での液体の形は恐るべきスペクタクルです。まさに「科学現象の中の美」なんです。

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注8:日本科学未来館での展示

2008年4月24日より、日本科学未来館の常設展示「情報科学技術と社会」の展示フロア内に、「メディアラボ」という新コーナーがオープンする。児玉氏はそこに「モルフォタワー」を出品。8月31日まで公開している。


注9:ミルククラウン

ミルクを満たした容器に、一滴のしずくを落とすと美しい王冠状の形を形成する。その現象のこと


アート心をもった科学者が増えるといい
佐倉

児玉さんは、イメージした磁性流体の形を実現するには、どういう磁場配位が必要で、それには電磁石をどう配置して……、といったことが今ではわかるようになった、と前に雑誌に書いておられましたよね。それって、磁性流体のためのいろんな機械が「身体化」されるほどになった、ということだと思うんですが、そこまでに何年くらいかかりましたか?

児玉

2000年から始めたので、約7年ほどです。まだマスターしたとはいえませんが、でも自分のやってることが「身体化された」という実感はあります。だから電流にしても身体化されたというか……。

佐倉

身体化された電流制御(笑)。

児玉

すごくおもしろいんですよ(笑)。だからこういう機器やテクノロジーが身体化していくと、おもしろい表現の世界が開けていく、ということをもっと多くの人に知ってもらいたいですね。作品を通じて興味をもってもらえればいいなと思っています。私は今、電気通信大学にいるので、とてもラッキーなんです。だって、電気通信系の知識の宝庫なんですから。まわりに専門の先生が何人もおられて。私が教えないといけないのに、教わってばかりです(笑)

佐倉

芸術や科学の線引きというのも難しいですよね。最後にお聞きしたいのですが、ズバリ、児玉さんにとって科学って何ですか?

児玉

科学は「方法」ですね。コンピュータもそうだけど、それをもっていればすごい勢いで進むことができる。世界中の科学者の数は、芸術家の比じゃないくらい多いですよね。大勢で取り組んでいるからパワーも大きい。今の世の中の激変も、科学があるからこそ、ですよね。そんなすごいツールだから、みんながよく考えないと非常に恐ろしいことになると思います。そうならないように、「アート心をもった科学者」が増えるといいな、と思っているんです。

佐倉

「アート心をもった科学者」というのは?

児玉

人間に対する愛情をもっている、ということだと思います。芸術作品は、見る人がいないと意味のないものなので。科学者も自分の研究していることが「ほかの人にとってどうなのか」という視点を常にもっているべきだと思うんです。

佐倉

なるほど。そのためにはどうすればいいとお考えですか?

児玉

もっと科学者とアーティストが接点をもつといいですよね。今、研究室レベルで行われているさまざまな研究に、ほかの人はふつう入っていけないじゃないですか。でも、広報活動をしたりメディアの人を入れたりして、アーティストも含めた異なる分野の人にその先端的な情報を見やすいかたちで提供してみると、必ず双方にとって有益なレスポンスが得られると思うんですよ。

佐倉

そうですね。科学者自身が、いきいきと自分の研究について語ることで、どれだけ大きな影響があるか。まあ、科学者といっても小柴昌俊さん(注10)のように、なんでもおもしろく話せる人ばかりじゃないですけど。
「科学を文化にする」というのは未来館のミッションで、この対談シリーズのテーマでもあるんだけど、でも僕は「科学を文化に」と、「文化に科学を」の、両方がないとだめだと思うんです。科学者以外の人が、科学的な考え方やものごとの解決の仕方を知って、児玉さんのおっしゃるように「ツール」として科学を使い倒すことができるようになればいい。

児玉

科学的な方法論が血や肉となればいいってことですよね。自然体で科学的方法論が身についている。

佐倉

そうそう。そうなったときに、文化や社会の中に科学が根づいたといえるんだと思います。

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東京大学情報学環福武ホールにて 2008年3月18日

注10:小柴昌俊

物理学者。東京大学特別栄誉教授。2002年、「天体物理学とくに宇宙 ニュートリノ の検出に対するパイオニア的貢献」で ノーベル物理学賞受賞


児玉幸子さんとの対談を終えて

はじめて児玉さんの作品を拝見したとき、固体とも流体とも、生き物とも金属とも判然としないその七変化に、えもいわれぬ感覚を覚えた。身体の内側から、ゾワゾワっと共感が沸いて出てくる感じである(もちろん誉め言葉です)。この独特な表現意欲はどこから来るのだろうと、ずーっと気になっていたのだが、幼少のころ生物と芸術に囲まれて育ったとうかがって、当たり前のこととはいえ、なんだか、すごく腑に落ちてしまった。重要なのは、そういう環境に反応した児玉さんの感性と資質の方である。同じような環境で育っても、芸術家にも科学者にもならない人はたくさんいる。児玉さんは、ひとつひとつ慎重に言葉を選びながら、静かに話してくださる。しかしその穏やかな言葉の向こうに、とてつもなく力強い意志と芯の強さが感じられ、ああ、芸術家というのはこういうものかと改めて感服した次第。行間から、その雰囲気が少しでも伝わっていれば幸いである。 (佐倉統)

2006 (C) NATIONAL MUSEUM OF EMERGING SCIENCE AND INNOVATION