“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

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#04-1:児玉幸子 (アーティスト)

2008年4月22日

科学とアートが一人のなかに共存するわけ(1)

2.jpg ぬらぬらと黒光りする液体がまるで生きているかのように、無数の突起を生み出しては変形させていく——。「科学は今の日本でどのくらい“文化”として根づいているのか?」を探るこの対談シリーズ、二人目のゲストは、磁性流体という先端材料を使った作品で注目を浴びるアーティスト、児玉幸子氏。物理学からアートの世界へ転身した児玉氏の個人的体験や独自の作品制作プロセス、そして科学や人間に対する強い信念の奥に、何かヒントが見えてきそうだ。 (文=阿蘭ヒサコ、豊永郁代、撮影=邑口京一郎)

こだま・さちこ
電気通信大学人間コミュニケーション学科准教授/北海道大学理学部卒、筑波大学大学院芸術学研究科修了、博士(芸術学)。2000年より磁性流体を応用したメディアアート作品を発表。文化庁メディア芸術祭大賞のほか、国内外のコンクールで多数入選。新しい芸術表現の分野を開拓している

作品紹介
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磁性流体のアートプロジェクトの初期の記録映像「突き出す、流れる」(撮影:児玉幸子)冒頭の映像。磁性流体にブラックライトを照射して記録

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2001年、児玉幸子+竹野美奈子「突き出す、流れる」部分(同映像より)

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「突き出す、流れる」展示風景。音声とほぼ同時に、流体が中空に伸び上がり、ダイナミックに変形する。
「the Interaction'01 -- Dialogue with Expanded Images」展
(ソフトピアジャパンセンター、2001年)

→児玉幸子ウェブページ「突き出す、流れる」


※磁性流体を使った児玉幸子氏の作品「モルフォタワー」は、日本科学未来館の新しい常設展示コーナー「メディアラボ」にて、2008年4月24日より8月21日まで公開していました。

物理学からメディアアートに転じた少数派
佐倉

児玉さんはメディアアーティストとして活躍されていますが、もともとは物理学が専門だったんですよね?

児玉

はい。北海道大学で半導体の光物性の研究室にいたんです。物理が好きで進んだのですが、どうしても芸術の勉強をしたくなって。北大で物理の実験や測定をしながら、メディアアートの勉強をするために、美術系の予備校に通い、卒業後に筑波大学大学院(芸術研究科)に入学しました。

佐倉

今でこそメディアアートという言葉も一般的ですが、その当時はまだはしりですよね。それが児玉さんのどう心を捉え、芸術への方向転換をされたのでしょう? 

児玉

ちょうど、『InterCommunication』(注1)の0号というのが出たころで、それを読んだのがきっかけというわけでもないんですが。以前から美術はすごく好きで、美術館やギャラリーに行って、ヴァーチャルリアリティの技術を用いた作品、例えば、クリスチャン・メラーの作品や藤幡正樹先生の作品なども見ていました。

佐倉

ああ、懐かしいなあ、『InterCommunication』 0号! 僕はそのころ、大学院を出て、人工生命の研究会に行き出したんです。そこで初めて河口洋一郎(注2)さんにお会いした。筑波大では河口さんについてらした?

児玉

直接教わったのは、ホログラフィーアートの三田村先生でしたが、河口先生には博士論文を書くときにお世話になりました。ほかにも現代美術の河口龍夫先生や彫刻の篠田守男先生に、金属の加工方法を学びました。先輩にはメディアアーティストの岩井俊雄さんや、明和電機の土佐信道さんなど、いろんなことをやっている人たちがいる総合造形という専攻で、おもしろかったですよ。私は直接に触れ合った人から影響を受けることが多くて、アーティストの仕事ぶりなんかもとても参考になりました。集中して仕事するときは、何もかも放っぽりだしていいんだー、っていうのもわかりましたし(笑)。

佐倉

児玉さんは、作家の作品だけでなく、人となりにも影響を受けるっていうことですね。

児玉

ええ。私が好きな作家は、女性ばかりですが、画家のジョージア・オキーフや辰野登恵子さん、それから草間彌生さん。触覚的なものが大画面に広がっていくような作品ですね。ただ、私の場合は、いつもロールモデルがいないというのが悩みで。

佐倉

それって手本になる人がいないから、自分で切り開いていくパイオニアということじゃないですか。カッコいい!

児玉

いやいや。物理から美術に転じるときも、理系から芸術系に進んだ人をずいぶん探してみました。美術評論家の中原佑介さんは京都大学の物理学出身で、『悪魔の詩』を翻訳して殺害された五十嵐一先生も、東京大学の数学科を出たあと美学研究室に行かれたんですよね。ただみんな男性なんです。そもそも物理を専攻する女性自体が少ない、というのもあるんですが。

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注1:『InterCommunication』

1992年3月から現在も刊行されている季刊雑誌 (NTT出版刊)。科学技術と芸術文化の相互交通(インターコミュニケーション)を目指す。


注2:河口洋一郎

世界的なCGアーティスト。筑波大学助教授を経て、現在、東京大学大学院情報学環教授。九州の種子島出身で、幼いころから南の海の生物を身近にみて育ったという、児玉さんとの共通点が興味深い。


科学も美術も、すべてがごちゃまぜになって
佐倉

理系から芸術系を目指す人たちにとっては、児玉さんの存在は励みになりますよね。

児玉

そうみたいです。電気通信大学でメディアアートを教えていますが、男子の多い電通大なのに、私の研究室は半分が女子なんですよ。で、彼女たちに「最終的にどうなりたいの?」って聞くと、「先生みたいになりたい」って言うんですよ。

佐倉

うーん、一度でいいから言われてみたい! 教師冥利に尽きますよねえ。だけど自分がパイオニアとしてロールモデルになるってことは、責任もあるということで、変なことはできない(笑)。

児玉

芸術家には、破天荒なタイプと地道にコツコツやるタイプがあって、私は後者のほうなんですね。だから理工系の先生方にも理解を得られるように、自分のやっている活動がどういうことなのか、なるべくわかりやすく説明をするようにしています。

佐倉

前に「日経サイエンス」(2007年3月号)にお書きになっていたものを読んだのですが、文章もお上手ですね。アーティストの文章って、感性が先に立ってしまい、言葉がついてこないものが時々ありますが、まったくそういうことがない。児玉さんは、ご自身がやっていることに密着もできるし、少し離れて俯瞰もできる。だから、芸術と科学の橋渡しには適任だと思います。
ところで、芸術と科学って、両極にあるものでは決してなくて、例えば物理などの自然科学にも、根底には美的な感覚や、何かを考えて表現する喜びなど、ある種芸術に通じるセンスがあるように思うんですけど。

児玉

共通点はすごくあると思いますよ。私の場合は、好奇心が旺盛で、子どものころから「なぜ?」「知りたい」っていう欲求がすごくあったんです。とくに周囲の自然から受けた影響は計りしれないほどあります。木の板の模様とか、年輪とか、視覚的なものにも非常に影響を受けました。

佐倉

どちらにお住まいだったんですか?

児玉

住んでいたのは、静岡県の海の近くです。それと、医師だった祖父が戦争で亡くなったあと、祖母が鹿児島の佐多岬の近くに住んでいたので、毎年行ってました。行き着くのが大変、というほどの田舎なんです。でも海がすごくきれいで熱帯魚が泳いでいて。そこで魚釣りしたり、貝殻を拾ったり、植物採集をしたりして、自然の中で毎日遊び暮らしていました。父は静岡県にある東海大学海洋学部に、事務方として勤めていたんです。お酒が好きで、水鳥の生態を調べていらした相馬正樹先生とか、クジラの研究をされていた奈須敬二先生なんかを、家に連れてきては飲んでいました。家にはクジラのヒゲとか、アザラシの毛皮なんかがあるんですよ(笑)。先生方に「しんかい2000」(注3)など深海研究についての本をいただいたりして。

佐倉

児玉さんの科学の素養は、そのころに植えつけられたんですね。でも、美術のほうは?

児玉

父は、美術部の顧問をしてたんです。父の書棚には、美術関係の本もたくさんありました。名画選とか、画集も100冊くらいありましたね。私の小学4年生のときのクリスマスプレゼントはゴッホの画集でした。それから、カール・セーガン(注4)監修のテレビ『コスモス』なんかが放映された時期で、宇宙にも興味がありましたね。だからあのころに、科学的なものも美術系のものも、いろんなものが全部ごちゃまぜに自分のなかに入ってきたんだと思います。

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注3:しんかい2000

海洋科学技術センター(現・海洋研究開発機構)が所有していた有人潜水調査船。


注4:カール・セーガン

アメリカの天文学者、作家(1934-1996)。著書に『コスモス 』その続編『惑星へ』 など多数。


専門化、細分化の逆をいく
佐倉

幼いころから普通に、宇宙、自然、生き物、美術に触れられていたから、物理から美術への転身というのも児玉さんとしては矛盾のない選択だったんでしょうね。

児玉

そうですね。子どものころになんの制約もなく、のんびりと好きなことをやっていたことが、今の私のもとになっているのかもしれません。なんだかまっすぐ進めないんですよ。本当は一直線に、答えにむかって進んでいきたいんですけど、イメージ的な思考が先に立ってしまって、連想ゲームのように次から次へと横滑りしていくんです。今は、すごい大きな螺旋を描きながら、やりたいものに近づいている、という状況です。

佐倉

連想的に新しい作品の発想がわいてくるっていうことですか?

児玉

それもありますが、私の場合、制作のプロセス自体に意義を見出してしまうことがあまりにも多いということです。今、作品をつくっている磁性流体(注5)にしても、まず素材の磁性流体があって、それを動かすための電磁石の設計があって、電流のための制御回路をつくって、そのためにマイコンや入出力の知識が必要で、ハードウェアのデバイスが決まったら、次はソフトウェア。見る人間がどう感じるかを考えながら、磁性流体の動きのシナリオを考える。どのプロセスにも好奇心を刺激するものがあって、とてもすべてを人任せにはできないんですよね。

佐倉

個人ですごく広いレンジをカバーされているんだ。

児玉

自分の感情をそのまま爆発させて何かを創作することが得意な人ってたくさんいるんですけど、彼らはたいてい、それを実現するための一つ一つの工程を冷静につくっていく、というのは好きじゃないんですよね。でも私はそれが好きなんです。

佐倉

ああ、そうか。僕の所属する東大情報学環周辺でいわれていることなんですけれど、昔はレオナルド・ダ・ヴィンチのような万能の天才がいたけど、今は専門化、細分化されているのでレオナルド・ダ・ヴィンチにはなれない。原島博さん(注6)が言っているのが、「一人じゃ無理だから、みんなが横につながればダ・ヴィンチがやった領域をカバーできる」という「ダ・ヴィンチ科学」。

児玉

でも、私が苦手な領域もたくさんありますし、世の中にプチ・ダ・ヴィンチはたくさんいると思いますよ。

佐倉

ところで、電磁石の設計とかプログラミングって、物理学の研究で実験を組んでいくのとよく似た仕組みですよね。でも物理学ではなくアートとして表現したい、という決め手はなんだったんですか?

児玉

芸術がもたらす感動が、自分にとっていちばん大きいということでしょうか。それがいちばん大事なことだと思うんです。どの学問分野でも、寿命が100年あったとしても「答えは得られない」という気がするんです。だから、最終的には、芸術的な直感や感動、なにか精神や身体のすべてで感じとるようなことが重要じゃないかと。そういう考えで作品を作っています。

佐倉

優秀な学者ほど「直感力」が優れているっていいますよね。万能細胞を研究している山中伸弥さん(*注7)についていろんな人に聞くと、彼は「これでできる」という信念というか直感がすごいって。ふつうの研究者はあんなやり方しない、というんですよ。児玉さんもご自分の直感を信じている。そのことも、作品の強みなのかもしれませんね。

注5:磁性流体

磁性体の微粒子を水溶性あるいは油性の溶液の中に拡散させ、液体の状態でも強磁性を保つようにした黒色の液体。磁界に反応して複雑で有機的な3次元形状があらわれる。


注6:原島博

東京大学大学院情報学環教授。専門は情報通信理論、メディア工学など。


注7:山中伸弥

京都大学ips細胞研究センター長。「人工多能性幹(iPS)細胞」を生成する技術を開発し、2007年11月に発表。世界から注目を浴びている。


2006 (C) NATIONAL MUSEUM OF EMERGING SCIENCE AND INNOVATION