“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

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#03-1:茂木健一郎(脳科学者)

2008年2月15日

科学は日本で、どれくらい“文化” なのか?(1)

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前回の本人による告知どおり、「鏡の国のサイエンス」は今回から佐倉氏が毎回ゲストを迎える対談に。目的は、「科学は今の日本でどのくらい“文化”として根づいているのか?」を探ること。さまざまな分野で活躍する才人たちと語り合い、彼らが科学技術についてどのようなイメージや認識をもっているかを聞き出していく。
まず第一回目はスペシャル版。広く科学・文化・社会の現状を分析すべく、「歩く科学文化」(佐倉氏談)、茂木健一郎氏にお越しいただいた。

(構成=豊永郁代、撮影=邑口京一郎)

日本人は西欧の学問の成り立ちと本質について大いに誤解しているように思える。日本人は学問を、年間に一定量の仕事をこなし、簡単によそへ運んで稼動させることのできる機械の様に考えている。しかし、それは間違いである。ヨーロッパの学問世界は機械ではなく、ひとつの有機体でありあらゆる有機体と同じく、花を咲かせるためには一定の気候、一定の風土を必要とするのだ。

日本人は彼ら(お雇い外国人)を学問の果実の切り売り人として扱ったが、彼らは学問の樹を育てる庭師としての使命感に燃えていたのだ。(中略)つまり、(日本人は)根本にある精神を究めるかわりに最新の成果さえ受け取れば十分と考えていたわけである。

----エルヴィン・フォン・ベルツ『ベルツの日記』より

科学が文化になれない起源

佐倉

「お雇い外国人」として明治時代に日本に来たベルツ(注1)は、107年前にこんなことを言ってるんですね。学問という花を咲かせるためには文化的土壌がないとダメだ、土を育てて樹を植えるところからやるべきであり、果実だけを切り売りするなんでできない、と。そして今、「科学はまだ日本では文化になっていない」という話をあちこちで聞くと、僕はベルツの言葉を複雑な気持ちで思い出すんです。科学を生んだヨーロッパと同じような文化的土壌が、日本にはまだできていないということなんだな、と。 確かに一面ではまったくそうなんだけど、一方でこれは科学を発展させてきたヨーロッパ文明の側からの見方なんじゃないかと僕は思うんです。日本はたしかに欧米化してますが、文化の伝統としては中国だったりインドだったりと、ルーツが違う。こういう文化圏にいるわれわれからすると、果実は果実として西洋からもらう一方で、うまく自分たちの土壌に合わせて樹木を育てることも考えなきゃいけないんじゃないかな、と。だから、日本では科学は文化になってないからダメだというのではなくて、日本の文化に合った科学のあり方というのを模索してもいいんじゃないかと思うんです。

茂木

僕はイギリスにいたことがあるんですが、イギリスにおける科学の、たとえばポピュラーサイエンス(注2)のあり方は日本とはずいぶん違う。科学と一般の人の距離が近いというか。確かに、そこで日本の現状を「まだまだ足りない」と批判することは簡単なんだけれど、僕はむしろ最近は「起源問題」のほうに関心があるんですよ。

佐倉

起源問題って?

茂木

日本では科学の結果だけをわかりやすく伝えることが求められているとよくいわれますよね。それを批判することは簡単だけれども、ではなぜ日本人がそういった “わかりやすい物語”ばかり消費するようになったのか。その起源を探るほうが大事だと思うんです。国民の文化というのは固定して考えるべきではないですから。

佐倉

確かにイギリスもヴィクトリア朝のころには反科学主義が蔓延して、科学コミュニケーションは惨憺たる状況だったといわれています。

茂木

でしょ。だから現在のイギリスのポピュラーサイエンスはたしかに素晴らしいんだけれども、ずーっとそうだったわけではなく、どこかでああいう伝統がつくられた。社会はダイナミックに変化するものなんだから、日本だって過去からずっと科学という文化の本質がわからないままだったのかどうか。だから、まずはなぜそうなったのかという起源にさかのぼらないと、現在の問題は解けないんじゃないですかね。

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応仁の乱で「個性」に懲りた日本人?

佐倉

それについてなにか仮説、ありますか?

茂木

たとえば日本人は個性がないといわれるでしょ。でもちょっと射程を長くしてみると、応仁の乱(1467-77)以降の百余年の戦乱の世に、個性のある人が自己を主張する時代があったわけですよ。

佐倉

応仁の乱までさかのぼりますか(笑)。

茂木

あの時代は、信長にしろ秀吉にしろ、過剰に主張した。実はあれで懲りたんじゃないでしょうか、自分の欲望を強硬に主張するような人が政治権力を握ると、いかに恐ろしいことがおこるかって(笑)。で、没個性の文化が生まれ、江戸時代からおとなしくなった。だから今のアメリカやヨーロッパの人たちよりも、それ以前の日本人はむしろ個性的だったかもしれない。同じように、科学など西欧の学問を断片として消費するのも、ずっとそうだったという宿命論に陥ることはないという気が僕はするんです。

佐倉

たとえば社会のシステムも、今は実力社会だからマーケティングメカニズムでやるのがいいんだ、自由競争がいいんだみたいな世の中になってきてますよね。科学の基礎的な研究や、あるいは哲学などの学問——僕は「絶滅危惧学問」と呼んでるんですが——大学のこういう講座には学生が来ない。もちろん、すぐお金になるとか、実用に結びつくことも大事だけれども、そういう短期的な果実だけを社会に還元するんではなくて、豊かな土壌の部分を社会に還元するってこともあるわけです。それが大学の基礎研究の果たす役割ですよね。そういうところを測定しないで、全部自由競争でいいんだみたいな社会って僕は抵抗があるんです。だから科学をどう育てるかということに関しても、日本にヨーロッパやアメリカなどアングロサクソン的な考え方と違うところがあるのなら、日本に合ったやり方で社会に根づかせることを考えるほうが大事なんじゃないかなと思うんです。

西欧のノーベル賞と日本のムラ社会

茂木

僕も、創造性の文化については確かに日本的なものっていいなと思ってます。最近「ノーベル賞というフィクション」という言い方をしているんですけれども、ノーベル賞というシステムは、“独創性というのは限られた個人のものであり、ごく少数の優れた人たちがブレークスルーを起こす”という世界観に依り立っています。ところが、フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンによるDNAの二重螺旋構造の発見などを見ればわかるように、実はそれまでに延々と遺伝子の本体をめぐる研究があった。ロザリンド・フランクリンがX線で撮影していたり、ライナス・ポーリングも三重螺旋モデルを出していたりして、そういう準備ができたところに彼らがたまたま現れて果実を得た。要するにDNAの二重螺旋構造をめぐる人類の網の目のような関係性の中で、彼ら2人はある役割を果たしただけなんだけど、ノーベル賞というのは同時に3人までにしか与えられない。だから、この2人だけが独創的なことをやったという擬制(フィクション)のもとに賞を成り立たせるわけです。それがヨーロッパ的なノーベル賞の世界観ですよね。でも、アインシュタインのように独創的な人でさえ、その前にローレンツ変換はあったし、妻ミレーガの貢献もあったといわれている。やっぱりネットワークの中にいたわけですよね。  ある大きな車メーカーの工場に行ったときのことなんですが、そこでは学歴も立場も関係なく、誰もが創意工夫のための提案書を書くんです。で、それに対して報奨金がなにがしか出る。みんなが平等に知恵を出し合うってことなんですが、この“全員平等”というのはノーベル賞の世界観とはまったく違う。問題は、アイディアの流通の仕方において、どっちが社会で実際起こってることに近いのか、なんです。ノーベル賞というのもひとつの極端な価値観だし、全員平等っていうのもひとつの極端な価値観で、おそらく真実は中間にある、と思うんですけど。 「万葉集」も、貴族だけでなく防人なども歌を寄せてますよね。創造性はみんなで少しずつ出し合うもので、ネットワークのなかでできあがってくるもの。この文化は、佐倉さんみたいに国粋主義とはいわないけど、日本の誇るべき伝統なのかなとは思いますね。日本的なムラ社会の価値観のほうが、ある真実の一面をとらえていることは事実だと思います。そこらへんに日本的な科学文化を育むヒントがあるのかなぁと思うんです。天才をつくろうというだけじゃなく、みんなで少しずつ知恵を出し合う。

佐倉

ウェブではそういう局面が見えやすくなってきますね。今までだと、そういう構造が存在していても、時間が長くかかったり空間的に広がって動いてるためなんとなく見えにくかったけど。茂木さんのおっしゃったことは、ニュートンも言ってますね、「遠くを眺めることができたとしたら、それは巨人の肩に乗っていたから」だって。そのあたり、彼も構造をわかってますよね。

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大学も科学という文化も、人に属する

茂木

論文でも最近オープンアクセスジャーナルで「PLoS ONE」(注3) とかありますが、あれもブログと似たような構造をしてるんです。論文を出したりみんながコメントしたりして、そういう意味では群衆の知を集めるという方向です。僕が大学院にいたときには、物理学の専門ジャーナルは物理学の図書館に行かなければ読めなかったけれど、今はプレプリントで、ただでいろんなところに載ってる。極端にいえば、小学生でも最先端の学術情報には接することができる。そういう意味では大学が知を独占していた時期は終わったんだけれど、でも、一方で、大学にしかないものもある。それはなにかというと、「人」だという話を、このあいだ原島博(注4)さんとしたんです。科学という文化も、人に属しているところが大きいと思うんですよ。

佐倉

まったくそうだと思う。

茂木

僕、子どものとき昆虫採集して蝶を集めてたんですけど、今から思うと幸運だったのは5歳のときに大学で昆虫学をやっている学生さんに手ほどきを受けて日本鱗翅学会にも入って、小学校5年生のときに、鱗翅類の権威で九州大学の名誉教授だった故・白水隆(しろうず・たかし)先生に20分だけ面会することができたんです。で、そのときゴイシツバメシジミという当時まだマスコミ未発表の、大分の原生林で発見された新種を見せてもらった。あの20分って僕にとっては宝物です。本当にもし関心がある人がいれば、たとえ短くてもいいから直接話すだけで、どんなことが本格的な科学なのか、なんとなくわかると思うんです。

佐倉

茂木さんがおっしゃったように、大学だけが知を保有してるという時代ではないんですが、でも大学の側でも知を社会と共有するためのうまい仕組みがつくれていない。そこで僕もどうしたたらいいかと、市民科学研究室(注5)で上田昌文さんたちと考えています。東大は「世界の知の頂点を目指す」といってるんですが、実は大学のある地元、文京区のことは全然考えていなかった。文京区という土壌にしっかり根を下ろして、なおかつ世界を目指しても全然かまわないでしょう、袖振り合うも多生の縁なんだから。でも東大もあれだけの土地があって、緑があって、知的な雰囲気や情報があって、使いたい人はいっぱいいるけれど、それに対する配慮がまだまだ足りない。何年か前に法律ができて国立大学の図書館は一般の人に開放しなければならないということになったんです。稀少な本もあったりして急にはできないから運用はそれぞれの図書館にまかせるけれども、原則的に使えるようにしなければならないんです。これも研究成果だけじゃなくて、足下からできる社会還元ですね。

注1:ベルツ

エルヴィン・フォン・ベルツ(Erwin von Bälz, 1849-1913)。1876年、「お雇い外国人」として東京医学校(現・東京大学医学部)の教師に招かれ、日本の医学界の発展に尽くした


注2:ポピュラーサイエンス

科学の専門的な内容を一般の人にもわかるように紹介する活動全般を指す言葉。イギリスは1825年に始まった一般向けの科学講話「クリスマス・レクチャー」(注10参照)をはじめ、一般市民を対象とした科学の普及、啓蒙的な活動がさかんであるといわれる


注3:PLoS ONE

http://www.plosone.org/home.action


注4:原島博

東京大学大学院情報学環教授。専門は情報通信理論・通信工学など


注5:市民科学研究室

リビングサイエンス(生活を基点にした科学技術)という概念を手がかりに、「生活者にとってよりよい科学技術とは」を考えるNPO団体

https://www.csij.org/



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