日々、遠い宇宙を見つめながら、日々、たくさんの本を読む。そんな人生を歩んできた海部先生が、現在進行形の読書のなかで考えたことを、エッセイ形式でつづります。科学を起点に、歴史や文学、漫画にまでも深く分け入るとめどない好奇心。分野の垣根を超え、時間軸を自由に行き来して出会う新しい世界観を、あなたはどう受けとめますか?

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第1回 『沈黙の春』を読みなおす

2007年2月12日

新潟へスーパー・サイエンス・ハイスクールの日帰り講演に行くので、しばらく本棚にあった『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著、青樹簗一訳、新潮文庫)を上着のポケットに入れた。

上越新幹線の車窓は雨の紅葉がきれいだったが、本にはぐいぐい引き込まれて、八王子の自宅にもどるころにはほぼ読み終えた。新潟は、僕が生まれてから半年だけ過ごした(らしい)ので、なんとなく懐かしいところである。講演後に新潟南高校の先生方と楽しく飲んだ酒も魚も、もちろん旨かった。

『沈黙の春』は、いわゆる公害問題の科学的告発の原点として知られる。この文庫も発行から30年、61刷を重ねている。じつは私も、ずいぶん前に一度読んではいたのだ。でも前のときは、何を読んでいたんだろう。いま読むと書かれている一つ一つが、ずっしり胸にこたえてくるのに。
カーソンがこの本を出版したのは1962年で、書かれている殺虫剤・農薬など化学製剤の被害は、1950年代におこったことだ。『沈黙の春』というタイトル(原題“Silent Spring”)は、決して誇張ではない。アメリカの多くの州に、「鳥が啼かない春」は何度も訪れた。川に大量の魚が浮かび、虫が姿を消し、裏庭に降りた小鳥が目の前でもがいて死んでいったのだ。家畜や人間も死んだ。広大なアメリカでは、害虫退治、雑草退治を狙っての飛行機からのDDTやもっと有毒な薬剤散布がさかんに行われ、それが大規模な環境破壊をおこした。時には百万ヘクタール以上の地域に何百トンもの毒薬を何度も散布した。それは生態系をとおしてさまざまな生物に蓄積され、海に流れる。
1950年代の日本では、水俣病に罹病した人たちが激しい差別に苦しんでいた。今年は水俣病50年でたくさん記事を読んだし、どうしてもそれらが重なってくる。アメリカでも、政府当局は薬剤散布と鳥の大量死との因果関係を、なかなか認めなかった。それでもさすがにアメリカ、地域の人々が立ち上がって公聴会が開かれ、ヤラセなどでない住民の率直な意見がのべられる。もと判事さんの発言がいい。「農業や林業を守る権利と同様、住民には美しい花 や小鳥の啼き声を愛でる権利がある」。
そうだよね。僕も言いたい。僕らには星や天の川を楽しむ権利があると。日本の子供たちに、美しい星空を返したい。最近は講演で出かけると、旧暦で楽しむ「伝統的七夕」や、小さくても明りを落として星を眺める「星空広場」を作ろうという話を付け加える。とてもいい反応が返ってくるので、うれしい。

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