「世界で最も人口密度が高い都市」のひとつであるバングラデシュの首都ダッカでは、低品質なコンクリートの使用や、耐震設計が十分でない建築構造などによって多くの建物がもろく壊れやすいという課題に直面しています。そんな建物を補強し、安全で住み続けられる都市にしようと努力する人々をご紹介します。
 今回は国連の持続可能な開発目標(SDGs)の目標11「住み続けられるまちづくりを」に注目して取材しました。

(科学コミュニケーター小林望)

倒壊のリスクを抱えた街

ダッカの街には4階建て以上のビルが乱立する(撮影:前田匡樹 教授)

 「あの事故をきっかけに、人々の意識が変化しました」「建物の所有者が、建物の強度に意識を向けるようになりました」と教えてくれたのは、東北大学工学研究科で建築の耐震性能の評価方法や建築構造の耐久性を調べる手法などを学ぶバングラデシュからの留学生、モハメド・シャフィウル・イスラムさん(以下、シャフィウルさん)とジャシア・タフィーンさん(以下、ジャシアさん)だ。

 "あの事故"というのは、2013年にバングラデシュの首都ダッカ近郊で起きたビル「ラナプラザ」の倒壊事故のことだ。テナントとして入っていた衣類の加工工場の労働者1000人以上が犠牲となった。バングラデシュ政府の事故調査委員会は、耐震設計や施工管理の不備が倒壊の主な原因と結論づけた。当初6階建てとして設計されたにもかかわらず、事故当時は10階を増築中だった。さらにコンクリートの強度も基準の半分以下だったという。

 バングラデシュは、日本の4割ほどの国土面積に、日本の人口よりも多い約1億6千万人が暮らす。特に、首都ダッカとその周辺を含む都市圏の人口は約2000万人と集中しており、人口密度は1平方キロメートルあたり3~4万人と世界最高水準だ。これは東京23区(約1万5千人/km2)の2倍以上におよぶ。

 ダッカの人口は、ここ20年間で2倍以上に増加しているとみられているが、急増する人口にインフラの整備が追い付いていない。人やモノが密集した都市では、交通渋滞や慢性的な電力不足などに加え、ラナプラザのようにもろく壊れやすい建物が多数存在し、深刻な問題となっている。

 想定されるのは地震だけではない。バングラデシュはガンジス川やブラマプトラ川など、大きな川のデルタ地帯に位置しており、国土の大部分が海抜9メートル以下の低地だ。そのため、毎年雨季に洪水や高潮などの災害がよく発生する。そのような状況の中で、建物が壊れやすいということは、都市全体が災害に対して大きなリスクを抱えていることを意味する。

壊れやすい建物を探し、補強する

VR手法の開発に先立ち、現地で実測している様子
(写真提供:シャフィウルさん)

 バングラデシュ全体のインフラをどうすれば丈夫にできるのか。この課題に、東京大学やバングラデシュの関係機関が中心となって立ち上がった「都市の急激な高密度化に伴う災害脆弱性を克服する技術開発と都市政策への戦略的展開プロジェクト(通称TSUIBプロジェクト)」が取り組んでいる。本稿で紹介する東北大学のほか大阪大学などが協力する。

 これからつくられる建物はもちろんだが、すでに建設された多くの建物を、どのように効果的かつ効率的に補強していくかが、大きな課題だ。「文化や風土が違えば、建物もまた違うものになるのが建築の面白いところ」と現地を訪れたことがある東北大学の前田匡樹教授(耐震診断や耐震設計などが専門)が言うように、現地の建物に合った補強技術が必要だ。プロジェクトチームはまず、ダッカ市内の建築物のデータベースを分析し、バングラデシュの建築様式に特有の課題を探し出すことから始めた。

 そのひとつは壁の構造だった。バングラデシュでは、日本ではあまり見ない「組積造壁(そせきぞうへき)」という、鉄筋コンクリートの柱や梁に沿ってレンガを積み上げるだけの壁が主流だ。レンガの壁は鉄筋コンクリートのフレームに直接つながっておらず、内部も補強されていない。そのため特別な技術がなくても作れる反面、地震などの災害がくればすぐに崩れてしまう。

 プロジェクトチームでは、こうした構造などの特性を踏まえたうえで、レンガの壁を金網で覆って固定するなど、現地にあった補強方法を探っている。そうした補強方法を一刻も早く適用した方がいいが、ダッカには約30万戸もの建物があると推定されている。「建物をすべて診断するには時間、人手、お金が必要です。最も壊れやすい建物を見つけ出すことができたら、リソースを節約できます」と留学生のシャフィウルさん。より壊れやすいものから対応していく必要がある。

 シャフィウルさんは素早く、少ない手間で、それぞれの建物に詳細な耐震診断が必要かどうかを評価する、Visual Ratingと呼ばれる手法(以下、VR手法)を開発した。これまでの診断方法では、建物の設計資料をもとに複雑な計算を行い、結果が出るまで数日から数週間の時間がかかっていた。さらに、現地では図面などの資料が保存されていないことが多く、診断のために図面を一から作り直さなければならないことも多いという。

 一方、新しいVR手法では、建物の階数などの目視でわかる項目と、柱の大きさや、柱と柱の距離など、簡単に計測できる項目のみでの診断を可能にした。柱の大きさなどの計測は、一歩、二歩...と歩幅で代用でき、訓練されたスタッフ一人が現場に赴けば、1~2時間ほどで診断できることが大きなメリットだ。

バングラデシュの都市を少しずつ"強く"する

 バングラデシュの建物に耐震設計や施工管理の不備がたくさんある、その理由のひとつに、建物に対する法律やルールがあっても、その目的や重要性が理解されていないために守られていない、ということが挙げられる。ただし、前田教授は「自分が所有する建物を何とかしなきゃと思っている人は増えつつあると思う」と語る。現地の空気は変わりつつある。

 「倒壊の危険性が高い建物を探し、補強を進めていく。実際に行動して効果を示すことで、丈夫な建物を少しずつ増やしていく」。シャフィウルさんはVR手法が、徐々に人々の防災意識を変えて、 ダッカの都市全体を"強く"していくきっかけになることを期待している。

 バングラデシュの建物を管理する住宅公共事業省の職員でもあるシャフィウルさんは、自身が開発したVR手法を、現地の多くの建物に応用していく道筋を立てている。すでに現地の技術者や研究者に対してVR手法の実施訓練を行っており、今年度はマニュアルを準備し、ダッカ市内の建物で実際に診断を進めていく予定だという。

 2050年、バングラデシュの人口は2億人に達する見込みだ。さらに近年、首都ダッカへの人口集中を緩和するために周辺都市の開発も進められており、都市部の人口は1億人を超えると推計されている。増え続ける人口を抱えながら、人々が安心して住み、働くことができるように、災害に耐えられる都市を作っていくことが急がれている。

(2019年10月4日)

インタビュー

モハメド・シャフィウル・イスラムさん & ジャシア・タフィーンさん

ジャシア・タフィーンさん(左)とモハメド・シャフィウル・イスラムさん(右)

 TSUIBプロジェクトでは、バングラデシュから留学生を受け入れている。日本で学んだ知識や技術をバングラデシュに持ち帰ってもらい、現地の建物への応用や、知識の普及を進めてもらうことが狙いだ。
 東北大学工学研究科で学ぶ留学生、モハメド・シャフィウル・イスラムさんは耐震診断の手法を開発し、2019年9月に博士号を取得し帰国する。もう一人の留学生、ジャシア・タフィーンさんは昨年秋に来日し、博士課程の研究に取り組み始めた。お二人から、バングラデシュの様子や留学中の活動についてお話を聞いた。

シャフィウルさん「インフラ、産業、教育・研究機関、交通機関......すべてのものが発展しています」 / ジャシアさん「ダッカの交通量は確実に増えた。状況がよくなればいい」

小林 まず、シャフィウルさんのご出身はどちらですか?
シャフィウルさん パブナという場所です。1828年に成立した、昔からある街です。都市部と農村部があり、農村部には川や水田があります。最近ではロシアとバングラデシュ政府が共同してパブナに原子力発電所を建設する計画があります。

小林 近年、バングラデシュはめざましい経済成長を遂げていますが、パブナでも変化を感じますか?
シャフィウルさん 間違いなく変化しています。バングラデシュの経済は少しずつ発展していて、もうすぐ最貧国(Least Developed Country)から開発途上国(Less Developed Country)になろうとしています。私が生まれた頃(※35年ほど前)、パブナでは産業や教育・研究機関が限られていましたし、ほとんどのものがダッカにしかありませんでした。今はダッカ以外の都市にも大学や研究機関があります。交通機関なども含め、すべてのものが発展しています。

小林 ジャシアさんのご出身はどちらですか?
ジャシアさん 幼少期は海外で過ごし、2000年からダッカに住んでいます。ダッカには東南アジアで最大の複合ショッピングセンター「ジャムナ・フューチャー・パーク」があります。私の父が建設プロジェクトに深く関わっていたこともあり、とても感慨深い場所です。

小林 ダッカでも経済成長による変化を感じますか?
ジャシアさん はい、変化を感じます。ダッカの交通量は確実に増えたと思います。政府は対策を立てようとしていますが、まだ進行中です。もう少し状況がよくなるといいなと思います。

シャフィウルさん「ラナプラザの倒壊事故をきっかけに防災政策を学ぶために日本に留学した経験も」 / シャフィウルさん「自治体による東日本大震災の被災地復興の取り組みに重要な学び」

小林 日本に来る前はどんなことをされていたのですか?
シャフィウルさん 大学を卒業した後、2008年からバングラデシュ全国の建物や都市計画を管理する、住宅公共事業省で働いています。2013年、ラナプラザの倒壊事故をきっかけにバングラデシュ政府が職員の能力強化に力を入れました。その際、JICA(国際協力機構)のプログラムで防災政策を学ぶために1年間東京に留学したことがあります。

小林 ジャシアさんはどんなことをされていたのですか?
ジャシアさん 日本に来る前は、バングラデシュで土木工学を学び修士号を取得しました。

小林 どんなきっかけで土木工学を学ぶことにしたのですか?
ジャシアさん 小さなころから高層ビル、橋、ダムなどを見るのが好きでした。土木工学を学んだら、こんなに素敵な構造をどうやって作るのかがわかるはず、と思ったんです。

小林 お二人は、東日本大震災の被災地を訪問されたと聞きました。
シャフィウルさん プロジェクト会議のためにバングラデシュ側のスタッフが来日した際、前田先生やプロジェクトメンバーと石巻や女川などの被災地を訪れました。

小林 現地の人と交流はありましたか?
ジャシアさん はい、現地の人とお話して、津波が来たときのことや、どのように生きのびたかなど、被災当時のことをたくさんうかがいました。
シャフィウルさん 2012年に訪問したとき、現地はひどい状況でした。女川も石巻も名取も......。でもその後、2015年に再訪したときには復興や移住が進められていて、大きく変化していました。そこには地方自治体のたくさんの活動があったようです。仙台市職員の方から直接お話を聞く機会があり、どのように人々の意識を変え、復興や移住を始めていったのかなど、とても重要なことを学びました。

シャフィウルさん「壊れやすい建物を見つけ、補強を進めていく。全力で取り組んでいきたい」 / ジャシアさん「日本で習得した実験手法を使って学生たちと研究活動を進めたい」

VR手法開発のために現地調査を行ったプロジェクトチーム(写真:シャフィウルさん提供)

小林 博士課程修了後は、どんな活動をしていきたいですか?
シャフィウルさん 私はバングラデシュの建物を管理する立場の人間として、いまある建物に対する耐震診断の技術を学んでいます。国内には本当にたくさんの壊れやすい建物がありますが、すべての建物に対して耐震診断を行うには、膨大な時間と人手と予算が必要です。そんな状況をどうにかするために、私は簡単に耐震診断ができるVR(Visual Rating)を開発しました。博士課程を終えたら、この手法をバングラデシュに導入していきたいです。壊れやすい建物を見つけ、補強を進めていく。この取り組みを続けていくことで、バングラデシュの都市は地震に対する"強さ"を得ると思います。これが、私が全力で取り組んでいきたいことです。自分が責任をもってやらなければならないことだと思っています。

実験機材を操作するジャシアさん

小林 ジャシアさんは、博士課程修了後にどんな活動をしていきたいですか?
ジャシアさん 大学に戻って、学生たちと一緒に研究活動を続けたいです。日本に来て9カ月(2019年7月現在)になりますが、今は主に実験手法を学んでいます。反力フレーム(reaction frame)という構造物の強度を調べる 実験機器を使います。博士課程を修了したら、習得した実験手法を使って学生たちと研究活動を進めていきたいです。彼らへの教育を通して、私が日本で得た知識や技術、経験などを広めていくことができるのではないでしょうか。

シャフィウルさんとジャシアさんの指導教員 前田匡樹教授

企画・ファシリテーション

取材後記

科学コミュニケーター小林望

 特に人口が集中する都市において、壊れやすいインフラが生み出す被害は、倒壊による直接的なものだけでなく、衛生環境を悪化させ感染症などの二次的な被害を引き起こす可能性がある。壊れやすい建物を見つけ出し、補強していく、という取り組みは、目立たないものかもしれないが、その地域に住む人々の生活の根底を支えるものだと思う。
 シャフィウルさん、ジャシアさんの指導教員である前田教授は、留学生のお二人によく「日本とバングラデシュをつなぐBridge person(かけはし)になってほしい」と話すそうだ。
 そして今回、シャフィウルさん、ジャシアさんとお話して、前田教授の想いはしっかりと伝わっていると感じた。プロジェクトが終了した後も留学生を通して現地とつながり、仲間を増やしながら、人々の生活の基盤である街を、安心して住める"強い"ものにしていく活動を期待したい。