概要 | 企画展「ウメサオタダオ展 -未来を探検する知の道具-」(梅棹忠夫) | 日本科学未来館

企画展「ウメサオタダオ展 -未来を探検する知の道具-」企画展「ウメサオタダオ展 -未来を探検する知の道具-」(梅棹忠夫)

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」

東日本大震災は、科学と人類の関係を改めて見つめ直す機会となりました。人類が未来を考えるためには、科学技術の視点のみではなく、分野横断的に世界の今を捉え、未来を見据える必要があるでしょう。未来館では、人類の未来と向き合うため、学際的な視点で世界を見つめた「知の巨人」、梅棹忠夫の展覧会を開催することにしました。

梅棹忠夫は、精力的なフィールドワークにより収集した膨大な資料を通して、また多くの分野の知識人との対談を重ねて、独創的な視点から世界を読み解きました。情報整理法を解説し、知的活動とは何かを論じた『知的生産の技術』はロングセラーとなっています。本展では、『知的生産の技術』ができるまでの資料を展示します。また未来館でのオリジナル展示として、梅棹の未完の書のタイトルでもあった『人類の未来』のコーナーを設置。梅棹忠夫が残した『人類の未来』のこざねに、来館者が自分自身で考えた未来のキーワードをこざねにして書き加える体験をします。梅棹が見つめた世界、思い描いた未来を礎に、現代を生きる私たちがその延長線上にある未来を思い描きます。

「知の巨人」が今を読み解き、未来を探検した知の道具が、混迷の時代を生き抜く私たちの羅針盤となることを願っています。

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梅棹忠夫 略歴

梅棹 忠夫(うめさお ただお)
1920年京都市うまれ。民族学者、比較文明学者。京都帝国大学理学部卒業、理学博士。大学では主として動物学を専攻したが、内モンゴルの学術調査を通じて民族学に転じ、アフガニスタン、東南アジア、東アフリカ、ヨーロッパなどでフィールド・ワークを精力的におこなう。1957年の「文明の生態史観」では、西欧文明と日本文明は、ほぼ同じあゆみで進化したという「平行進化説」をうちだす。

1949年から65年まで大阪市立大学理工学部助教授、1965年から69年まで京都大学人文科学研究所助教授、1969年から74年まで同教授。国立民族学博物館の創設に尽力し、1974年から93年まで初代館長、退官後は同館顧問、名誉教授となる。総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授。 1988年に朝日賞を受賞。1991年に文化功労者。1994年に文化勲章、1999年勲一等瑞宝章を受章。2010年没。















梅棹 忠夫(うめさお ただお) 企画展「ウメサオタダオ展 -未来を探検する知の道具-」(梅棹忠夫)
1980年国立民族学博物館 館長室にて
梅棹 忠夫(うめさお ただお)