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4|参加者とのディスカッション

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(YouTube 1:27:45~2:24:39)

3人の専門家の講演に対して、参加者はどんな意見をもったでしょう。続くディスカッションでは、「安全とはどのような状態か?」という問いを皮切りに、行政の役割や安全とコストの関係、そして今後の安全管理の方向性まで、さまざまな論点が提出されました。(司会:科学コミュニケーター 天野春樹)
※参加者の発言は一部編集して記載しています。

参加者とのディスカッション1


[1]安全とはどのような状態か?

司会 まず、「安全とはいったいどのような状態なのか?」という問いを皆さんに考えていただくことから始めます。抽象的な問いではありますが、社会がどんな仕組みを整えるべきかを考えるうえで、必要な問いだと思います。3人の先生方からの情報提供を受けてのご意見をお願いします。

来場者1 安全とは、「単に安全に管理されているだけでなく、安全を担保する仕組みが一般の人々に理解されていて、その仕組みに信頼をもてる人が多い状態」ではないでしょうか。

来場者2 安全の定義としては、「リスクが許容できる範囲に収まっている状態」としか言えないのでは。ただ個人的には今回の改正は、安全ではなく安心のためのように思えてなりませんが。

来場者3 その「許容できる範囲」の基準を国民一人ひとりが個別に求めてしまうということ自体、リスク管理の考え方に沿ったものではないと思います。放射線影響というリスクを低減するよう、社会が努力を続けていくことが大事なのであり、「許容」という閾値を設けると、そこで議論が止まってしまう。最新の科学的知見をもとに、リスクを可能な限り抑えていく心がけをしていくことが大事だと思います。

甲斐 基本的な考え方はそうだと思います。しかし一方で、現実には「基準」という一つの数値を定めねばなりません。ただ、リスクとはどんな対策によっても決してゼロにはなりませんから、一つの基準に定めるといっても、絶対的な基準はあり得ない。ですから何らかの基準を設定しても、可能な範囲でのコントロールをするのがやはり大事です。
ただ、食の放射能問題はいま非常に注目されていますが、おそらく5年、10年と経つと、だんだん皆の意識は遠ざかっていきます。何か新たな問題が生じても意識されなくなる可能性もあります。「安全とは何か?」とは、そこで改めて問われる問題かもしれません。

来場者4 一つの基準値を定める必要があるとはいえ、安全はやはり個人個人で基準が違います。4月の改正で、例えば水については政府が10ベクレル以下をいわば「安全」としたわけですが、それに対して「はい、わかりました」では終わりません。出口調査にせよ、JAや各自治体で検出器が本当に足りているのかといった疑問もあります。ですから実際に検査体制がどうなっているかを継続的に見せていき、もしもどこかで基準値を超えたものがでた場合は、その分布などを市町村レベルまで細かく見せるようなことが、安全につながるのではないでしょうか。

道野 検査体制に関しては現在、地方自治体を含め1日に千件前後の検査が実施され、その結果は毎日公表しています。公表内容についても、市町村レベルで、いつどこで検査したものか、セシウム134と137の内訳も含めた詳細を厚生労働省のホームページに全部掲載しており、その内容をまとめたものをリスクコミュニケーションのなかでお伝えするといった活動も行なっています。私ども行政としては、リスクが一定の基準で管理されている状態を「安全が確保されている」と捉え、このような政策を考えています。皆さんにとって安全が確保されているか否かは、こういったものを見て、最終的に皆さん自身が判断されるのではないのかと思います。

参加者5 一方で、行政の行なう検査体制に不安はあります。それを解消するために、例えば市民測定所のように、一般の方が自分たちで測るようなとりくみの支援体制は十分にあるのでしょうか。

道野 消費者庁が昨年から市民測定所に機器の貸与を行なっており、確か年度内に200台以上貸与すると聞いています。ただ、基本的には市町村や都道府県といった行政機関に貸与し、市に持ちこまれる検体を測る制度です。例えば民間の方に丸ごと機器を貸与するところまでは今のところいきついてないようです。

甲斐 ただ、いま市民 測定所の方々が非常に頑張られているんです。2月にあったシンポジウムに横浜市民測定所の「子どもを放射能から守る会」のお母さんたちが来られていましたが、自分たちで測定をして、状況がしっかりわかっているから、私などよりよほどリスク管理を身につけていらっしゃる。彼らは自分たちでお金集めて、安いNaIの測定器を使っています。そういう方々をある程度、公的にも支援してほしい。現在、公共施設には多くの機器が配備されていますが、それが十分に効果的に使われているのか、かなり疑問です。貸与制度を検討して、オープンに宣伝していただきたいです。

参加者とのディスカッション2


[2] 安全の追求とコストバランス

来場者6 福島県から参りました。お話を聞いていて、ここに来ている方々は非常に意識が高いと感じます。あえて逆のことをお話ししますと、自分で勉強して、測って、判断することが安全につながるのではなく、“何も考えなくても”とまで言うと語弊がありますが、普通に生活していれば安全で、健康に影響がでない世の中のほうがいいと私は考えます。お年寄りや知的障害があるような方に負荷のないような管理をすることも、行政の仕事として大事ではないでしょうか。

――それに関連して、いまTwitterから「日常的に放射線の判断をしなければならないのは手間で面倒です」という意見と、「やはりデータを見たい。検索機能がしっかりしたインターフェイスでウェブをつくってください」という意見があがりました。

道野 確かに、放射性物質のように目で見てわからないリスクを個人や家庭で管理をするのは、限界があります。細菌性の食中毒などであれば、一般の家庭で気をつけることによって一定の管理ができる。ハザード(危険を引き起こす原因)によって、どの程度まで個人レベルでコントロールできるかは違ってきます。ただ今回の放射性物質に関しては、行政としては規制値を超えるものは基本的には流通しないように、との観点で対策を行っており、その意味で、さきほど言われた「普通に生活していれば安全」を目指しているといえます。

来場者7 確かに、普通に暮らしていれば心配ない、というのが理想です。ただし最終的にはコストベネフィットではないでしょうか。つまり、何も気にしなくても自動的に安心、という食生活環境をつくるには、当然それなりのコストがかかります。そのコストを社会として許容できるかも重要な論点ではないでしょうか。例えば検査を厳しくすれば、検査機器など設備投資のコストだけでなく、それを使いこなす知識をもった技術者が必要になります。つまり、基準を厳しくすればするほど検査コストがかかる。それを無視して、安全、安心だけにこだわってしまうと、社会的な政策としてはやはりバランスが悪いのではと、かえって心配です。
私は小さい子どもがいるのですが、確かに乳幼児食品の基準が厳しくなり、安心感は増すかもしれませんが、一方で厚生労働省全体の予算を考えると、例えばワクチンはどうなるのかなど、別の心配がでてきます。

山本 基準値をつくる際、どのレベルで管理するのかが一番大事な議論になります。今回は可能な限り低いレベルに設定しています。その際、確かにコスト面でこの検査体制がとれるかという議論はありましたが、機器が十分いきわたるまでどの程度の時間がかかるか、はっきりしたことはわからなかった。しかし、その段階では安全よりも安心を重視した部分がおおいにあったといえると思います。特に、一般食品のほかに牛乳、乳幼児食品と分けるのではなく、一般食品だけでいいのではという議論が随分でました。一般食品の基準値の検討の段階で、すでに1歳未満の子どもたちのことは考えていたのですが、さらにそれを半分にしたというのは、より一層の安心感を求めたという部分が大きくあると思います。

参加者とのディスカッション3

甲斐 先ほど言われたコストバランスという感覚は、非常に大事です。リスクは放射線に限ったことではありません。確かに現在は大きな事故があり、放射線リスクが突きつけられ、対処が求められているのですが、それ以外のリスクもいつでも起こり得ます。ある一つのリスクにこだわった結果、別のリスクを見逃してしまった、という状況は避けねばなりません。

来場者8 ただ、最近のテレビや新聞を見ていると、全部検査をすべきという論調になっていっているように感じます。規制値を越えた食品が検査の網の目を抜けでるかもしれないと考えると、消費者が不安になるのも事実です。今後、全部を検査する方向にいく可能性はあるのでしょうか。

道野 多種多様なものが大量に流通している食品を全部検査するのは、現実的ではないと考えています。従って、必要なのは基準値を前提に、それを超えるものが出回らないような仕組みです。われわれが今とっている方法は、計画的な検査を実施し、規制値を超える食品が地理的広がりをもって分布しているという場合は、まとめて出荷制限をする。その後、検査結果が規制値を下回ったことが確認されれば、また出荷を再開していただく。この仕組みで対応していきたいというのが行政サイドの考え方です。ですから、牛肉の出荷制限がかかった4県でも、全頭の検査が必要と考えられるのは、飼養管理に問題のあった農家だけになります。

参加者とのディスカッション4


[3] これからの安全管理の方向

山本 食品には、生産から流通までのどの段階で、リスク低減のためのコントロールを行うか、という問題があります。現在は基準値というものが食品衛生法上で決められているので、道野さんからお話があったように流通の段階で規制をかけています。しかし、甲斐先生がいわれた生産段階でのコントロールが今後有効に機能するならば、より安心感が増すと思います。
ただこれは安全というよりも、安心です。というのは、原発事故以降のモニタリング調査の結果を見ると、現実的には数値はすでに相当下がっています。この状況であれば、おそらくは基準値を超えるような値にはならないことがわかっていただけるのではないでしょうか。

甲斐 全数の測定は現実的にはおそらく不可能ですから、検査の際、どこのどれをサンプル調査するかというと、当然、疑わしいものをとります。では何が疑わしいか。例えば牛肉の場合、放射性物質は当然、餌から入ります。従って、餌の汚染をしっかりと把握し、管理すればいいわけです。このように、どこに問題があるのかをしっかり見ていくことで、厳密に検査すべきものとそうでないもので強弱がつけられる。こうして問題のあるものから押さえ、だんだんと下げていくしかないと思います。
最初に「安全とは何か」の問いに対して、一番目の方が「安全を担保する仕組みが理解されていて、それが信頼されていること」という、非常に的確な回答をされました。まさにそうだと思います。ではいま、その仕組みが理解されているかというと、されていないのが現状です。確かに行政も一生懸命やっていますが、説明が上手くない。リスクコミュニケーションができていません。何をどこまでやっているのか、その上で何が足らないのかを伝え、皆さんからのアドバイスを入れて改善していく努力も必要だと思います。そしてこのように常に改善していくという姿勢が、信頼につながっていくのではないでしょうか。

――Twitterから、「風評被害を避けるためのデータベースや情報提供のあり方を検討する必要があるのでは」というご意見がきています。

来場者9 福島県産の野菜を測定して、数字をだして販売しているところもあります。数字は恐れずむしろ積極的にだし、安全に関しては各自で判断してください、という姿勢でもいいと思います。

来場者10 福島県の者です。厚生労働省のホームページもとてもわかりやすいのですが、福島県でも「ふくしま新発売」というホームページをつくっており、検査の方法を動画で紹介したりとたいへん見やすいので皆さんにお勧めします。このホームページを見ると、3月19日以降検査した食品の97パーセントが規制値以下です。野菜に関しては7月以降、ほとんどすべてのものについて検出されていません。ですので数字をだす、ださない以前に、野菜に関してはでていないんです。こういったことをもっとコミュニケーションしていかなければならないと私どもも感じています。

甲斐 日のような議論をいろんな場所でしていくしかないでしょう。今日ここには関心が高い方が多いので、ある程度の理解が浸透しているようですが、皆さんのような方々ばかりではない。とにかくリスクのありそうなものは嫌だという反応をされる方も多い。
リスクをどんな方法で、どのように管理しているのか。今の汚染のレベルはどうなのか。このような情報を、もっと多くの人に、もっとわかりやすく、丁寧に発信していく。一方通行のウェブだけでなく、このような双方向の対話形式でコミュニケーションする機会をつくる必要があると思います。

司会 それでは最後に、先生方に今日の議論を受けてのご感想をお願いします。

山本 お話ししたように今回の基準値は、何も気にせずとも安全に食べられるような値として設定したつもりではあります。しかしリスクをどうとらえるかは一人ひとり異なります。周りの情報を正しく判断して、自分なりの判断の基準をしっかりともっていただくことも必要だと思っています。

道野 このような議論のなかで感じるのは、やはり行政サイドに対する信頼をなかなかもっていただけないことです。もちろん行政側にも責任があるでしょう。今後は検査の考え方をさらに整理し、過去1年間のデータも考慮しながら検査を続けていき、皆さんに信頼されるようなとりくみを継続して見せていきたいと考えています。

甲斐 信頼という意味では、今回の事故を受けて一番信頼を得られなかったのは、私も含めて専門家ではないかと反省しています。いま学問は非常に細分化しており、それぞれの専門家がかなり狭い分野のなかで活動しているため、専門家同士のネットワークやコミュニケーションが十分でなかったところがある。しかし今回のようなリスクの問題は、いろんな分野を越えて議論する必要があると切実に思います。今後、皆さんからの信頼を得るような専門家になっていけるよう努力を重ねていくつもりです。

参加者とのディスカッション5

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YouTube: イベント記録映像(2時間24分)


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