03 02 02 「科学者として原発事故にどうかかわるのか」 | 未来設計会議

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あなたは科学に何を期待してきたでしょう? 震災以降、社会に生まれた科学者への不満や期待と、科学者の側の切実な思いとをぶつけ合い、議論しました。科学が力を存分に発揮できる社会にするために、今、私たちが抱える課題と解決方法を探ります。
(このサイトでは、当日の講演とディスカッションをダイジェストでまとめています。イベント全編はYouTubeでご覧ください。)

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4|「科学者として原発事故にどう関わるべきか」早野龍五
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(YouTube 53:19~1:07:38)

原子炉については、ほとんど知らなかった

初めに私が震災前に何をしていたかということから話をします。まず研究者として、ジュネーブにあるCERN研究所で研究チームを一つ持っています。そこで行っているのは、最近話題になったヒッグス粒子の研究などとは違って、反物質を使った研究です。このチーム名はASACUS(アサクサ)といって、雷門のちょうちんをロゴに使っています。日本の税金をいただいて国際的な場で研究をしていることを常に意識はしていました。ただ、われわれのやっている研究はものすごく浮世離れした研究であります。一方、大学教員だから授業もします。例えばNaI検出器で放射線量を測るといった授業も行なっていました。
それから、中学の理科の教科書も執筆しています。たまたまですが、2008年の学習指導要領改訂で原子核や放射線を教えることになり、2012年から使われる中学の教科書には30年ぶりにこれらの項目が復活します。私の書いた教科書は、各社の中では放射能などについて最も詳しいという評判があったんですが、あの事故が起きたので、各社ともこの夏に慌てて福島原発のことを書き足していました。
これが事故前の私です。科学的な考え方や、原子核物理、放射線測定などにはかなりの程度、精通していたと思います。ただし原子炉については、ほとんど知らなかった。非常に大ざっぱにどういうものかは知っていたけれども、原子炉の中の仕組みなどはほとんど知らなかったんです。また、外部被ばくについては、ジュネーブとの飛行機の往復や、肺がんの治療で受けたCTで自分自身がかなり浴びたから少しは知っていましたが、内部被ばくについてはほとんど知識がなかった。それからエネルギーについては、理科の教科書を書くときに日本のエネルギー政策をちょっと調べた程度。こんなのが私の事故前のリテラシーでした。

Twitterを拠点にしたデータの解析・公開・議論

そして3月11日に地震が起きました。翌日、家にいたらテレビが「セシウム137」というキーワードをつぶやいたのにドキッときました。これは何かまずいんじゃないかと。そしてその日の夕方には「敷地境界ですごい線量になった。これはシリアスだ」と言っている。それで、Twitterでこういうことをつぶやき始めました。

図1


当時はテレビの画面を幾つか並べて同時に見ながら情報収集していたんですが、そうはいっても乏しい一次情報です。「どうも原子力安全・保安院の会見を聞いても要を得ない。これだけの一次情報では何かを推測するのは無理です」といったこともつぶやいていました。その後、データは少しずつ出てきました。最初は福島第一原発からファックスで送られたものを、コピーしてスキャンしたPDFファイルが出てくる。しかし、これでは状況が分からないので、データの「見える化」をしようということになった。私たちは科学者なので、データの出典を示して、解析して、公開して、議論するという普段のトレーニング通りのことを淡々と行ったわけです。例えば翌朝、3月13日のツイートがこれです。

図2
「福島第一原子力発電所正門付近のガンマ線量測定値、
東電公表データからグラフにしてみました」


これはツイートした途端に、瞬間的に9万人ぐらいの方が見ていました。
こういうことをやっていると、「これだったら私も貢献できる」と思った方々が、素人の方にもプロの方にもいらっしゃいました。その1人が、高エネルギー加速器研究機構の一宮亮さんです。「放射線を用いた研究を国のお金で行わせていただいている者の1人としてできることをしようと考えた」ということで、勝手連でさまざまなデータを集める「放射線量モニターデータまとめページ」を始めてくれました。みんなボランティアで、民間の方も含めてネット上でつながって、一次情報にリンクしたデータを出すようになりました。
その一方、とにかくクズの情報がたくさんあるわけですね。東京電力もたくさん間違いを犯しました。例えば、4月1日に東京電力が「福島第二原発敷地内空気から塩素38m(放射性物質)が検出された」という情報を出したのですが、僕はすぐに「April Foolにしてもありえない!ガンマ線による東電の核種の同定に、明らかな間違いあり。プロなら全員同意するはず。もとのガンマ線スペクトル、一度見せてください」とツイートしています。
中島先生もおっしゃったように、研究者はしつこいんですね。しつこいので、非常に長期的にいろんなものを見る。文科省がなかなか全国の放射線量グラフを作らないので、研究者の仲間と一緒に作って、しつこく毎日ツイートしました。今もまだ続けています。

図3


それから冷温停止という話がありましたが、原子炉圧力容器下部の温度はどうなっているのかというグラフを作りました。「燃料がすべて下に抜け落ちている」と言われていましたが、注水量に追従して温度が上下しているので、「すべて下に落ちているわけではなくて、まだどこかに残っているよね」などとぶつぶつ言いながら、グラフを毎日毎日更新しています。要するに私は、何が起きているかを知りたいんです。こういうことをする動機は、私自身が知りたいから、というのが一つです。
今まであまり話したことのない秘密を少し明かしますと、やはりわれわれは組織に属している人間なので、しゃべっていいことと、いけないことがあるということです。実は東京大学はこの件に関して「大学本部が仕切るので、個々の教員は勝手なことを言うな」という通知を出しました。私は直接、大学本部から「早野黙れ」と言われました。しかし理学部長などとも相談して、黙らないことにしました。

本来の餅屋はどこにいるのか?

その次にSPEEDIの問題があります。実は僕は事故前にはSPEEDIというシステムがあることすら知らなかったんです。だけどちょっと調べたら、そういうものがあるに違いないとわかった。3月15日には「原子力安全保安院の、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムSPEEDIがフル稼働中ではないかな。しかし計算結果は公表されていない?」というツイートをしています。
この点は非常に気になったのでいろいろな方とお話しをして――中島先生もその一人ですが、3月17日に当時の鈴木寛文科副大臣のところにうかがい、「とにかく情報をすべて出した方がいい」というお願いをしました。私が言ったから公開されたわけではないと思いますが、それから1週間後の3月23日にSPEEDI試算結果が公表されました。
外国メディアの問題もありました。国内でのコミュニケーションも大事ですが、国として外国にどう伝えるかが非常に大事だった時期です。3月某日に、官邸の某氏から「外国メディアに英語で専門的な内容を解説する役をお願いできますか」と頼まれたんです。私は「すべての情報を開示してくださるのですね?」と言ったら、官邸の某氏は「×××」とおっしゃったので、「残念ながら……」ということになり実現しませんでした。しかしその後、私は可能な限り外国メディアの方には個人的にレクチャーをしています。
こういうことをずっとやってきて空間線量はだんだんわかってきたのですが、内部被ばくの実態がよくわからないことがずっと気になっていました。例えばウクライナではチェルノブイリの事故から10年経ってから内部被ばくが増えているデータがあります。では日本では今、どうなっているのか。今後、内部被ばくが増える危険性があるのかないのか。それで、内部被ばくの状況を大規模に調べるには給食センターの食事を調べるのがいいということで、まず「給食一食まるごとセシウム検査」という提案をしました。かなりしつこくツイートしましたし、ツイートするだけではなく文科省に行き、森裕子文科副大臣に提案しました。
まだ国の施策はできつつあるところですが、喜ばしいことに多くの自治体がこれを今すでに行い、データを出し続けています。それから文科省もようやく重い腰をあげて、どういうやり方でこれを行うかを決め、予算をつけるという方向に行きました。私の提案が、国のプロジェクトになったということに非常に喜んでいます。
それとともに、内部被ばくを調べるためには、ホールボディカウンターが重要です。3月に浴びた放射線量の調査については若干、遅きに失しましたが、しかし今でも、汚染食品を食べているかどうかを調べる上でこれは絶対に必要です。ところが、「どうもあちこちに入っているホールボディカウンターから、まともなデータが出ていないのではないか」という疑いを持たれたお医者さんが、私のところにデータを持って駆け込んでくるということが起きています。私も南相馬市立病院のホールボディカウンターを見せていただいて、そのデータをいただいて今、解析をしています。
このような活動を日々行っているんですが、平川先生にもご心配いただいたように、Twitterによって私の家庭生活も研究生活も、見事に破壊されました。

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僕は大学で管理職なので、Twitter は4月でやめたかったんです。「餅は餅屋である」はずだからです。僕は最初に言ったように、これらのことについて何の専門家でもない。餅は餅屋のはずなのに、なぜ僕がいまだにこんなことをやっているんだろう、本来の餅屋はいったいどこにいるんだろうという疑問を持ちながら、毎日を送っています。

早野龍五
早野龍五
東京大学大学院 理学系研究科 教授
1952年生まれ。専門は素粒子原子核物理学。震災直後から自身のTwitterで、原発をめぐる基礎知識や福島原発の現状分析をリアルタイムで発信。最近では「給食まるごとセシウム検査」を文部科学省に提案し、大きな注目を浴びた。

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YouTube: イベント記録映像(2時間38分 イベント開始は5分40秒からです)


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