03 02 02 「科学技術社会論から見た3.11以降」 | 未来設計会議

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あなたは科学に何を期待してきたでしょう? 震災以降、社会に生まれた科学者への不満や期待と、科学者の側の切実な思いとをぶつけ合い、議論しました。科学が力を存分に発揮できる社会にするために、今、私たちが抱える課題と解決方法を探ります。
(このサイトでは、当日の講演とディスカッションをダイジェストでまとめています。イベント全編はYouTubeでご覧ください。)

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2|「科学技術社会論から見た3.11以降」平川秀幸
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(YouTube 28:43~42:27)

震災前のとりくみ――専門家と市民の協働を目指す

私の専門である科学技術社会論とは、科学技術について、どちらかというと人文社会科学的な視点から考える分野です。非常に広い分野ではありますが、この科学技術社会論の観点から3.11以降の日本の動き、特に科学技術と社会のかかわり方の話をざっくりしてみたいと思います。
その前に最初に自己紹介がてら、3.11以前は何をやっていたのかをお話しします。私自身の関心はもともとリスクの問題にあり、特に食品安全をめぐってのリスクの問題に注目してきました。その中で、例えば遺伝子組み換え作物やBSEなど、リスクがあるかないかが非常に微妙な問題に関して、体や自然環境への影響以外に、社会に対してどういう影響があるかを探っていく。またリスクというものも、例えば何万人に1人とかという確立論的な見方ではない、倫理的、あるいは政治的な観点からの研究をしていました。
また、そうした観点から、リスクに関する政策決定をどう改善できるのかという問題を扱っています。例えば、科学と政策決定との関係や、ステークホルダーや一般市民がどのようにその政策にかかわれるのかという問題、さらにそうした問題に関わる人々をどうサポートできるかという問題に取り組んできました。その中で特に近年は、研究費を国からいただき、大きく分けて二つのポイントで研究や社会実験をやってきました。
一つは熟議。これは最近、文部科学省でも民主党政権でも時々使われている言葉ですが、わかりやすく言うと、じっくり熟慮を重ねながら議論をする、議論を通じてさらに熟慮をするということです。私の場合、特に科学技術の社会的課題について議論する仕掛けをつくったり、そこで行われた議論を現役の科学者や政策決定者、市民に広くつないでいくための仕組みを考える、といったことをやってきました。
その一環で、昨年度はテーマとしては再生医療を取り上げました(下図)。京都大学の山中伸弥先生の研究所の人たちにも手伝ってもらい、再生医療に関して、これから世の中で皆が考えるべき課題と期待と懸念を探ってみようというワークショップを段階的に重ね、結論を出していくというものです。

再生医療に関する熟議キャラバン2010


それに加えてもう一つ、専門家と市民、非専門家との協働という観点で紹介すると、アメリカではCommunity Based Research、ヨーロッパではScience Shopと呼ばれるような、地域の住民からの依頼や相談を受けて、大学の研究者や学生が住民と一緒にチームを組んで調査をしたり、いろいろな問題解決をしたりするという仕組みがあるんです。こういう活動をもっと組織的に、一つの研究室単位ではなく、大学のようにもう少し大きなくくりの中でできないかということで、現在大阪大学と神戸大学にサイエンス・ショップの窓口を設けています。

理解のための補助線を引く作業

 こうした取り組みを続けている中で震災が起きました。私自身はもともと物理学が専攻だったこともあり、初めは原子力や原発の問題にフォーカスして事態を見てきました。ですが、物理の後で哲学や人文社会系のほうに移ったので、人文社会学者として一番すべきこと、できることとは、今起きていることを理解するための、ある種の補助線を引いていく作業だと考えました。そしてその中で、これまでやってきたテーマであるリスク論争をどう理解するか、また科学を政策助言の問題という観点からどう見るか、それから市民のエンパワメントの問題としてどう見るか、さらに今回いろいろなアンケートの中でも出てきた科学や科学者に対する期待、それが裏切られたという失望をどう見るか、などといったことを考えてきました。それによって世の中の人々が今、自分たちが目の前で経験していることを理解したり、言葉にしたりするのをお手伝いしたいしようとしてきたつもりです(下図)。

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そして最後に科学技術社会論の観点から、震災後の社会における科学の問題とは何だったのかについて、いくつかのポイントを挙げてお話ししたいと思います(下図)。
1つは長坂さんのお話にもありましたように、政府、さらにここではコミュニケーションのことも含めてメディア、また原子力関連の専門家たちによる危機管理やクライシスコミュニケーション――リスクコミュニケーションではなく、これは危機的な状態ですのでクライシスコミュニケーションといいますが――それがまったく機能不全であったということです。例えば今回の事前アンケートの中でも皆さんからいろいろと指摘がありましたが、「どうしてテレビに出てきた原子力の専門家たちは、ことごとく安全寄りの発言で過小評価してしまったのか」ということ。正常化バイアスとか、エリートパニックとか、いろいろな分析もありますが、これはまず一つ目の問題です。
さらにコミュニケーションの問題という点では、日本社会に原子力の問題についてコミュニケーションできる人材はほとんどいなかったということです。実は原子力業界は、ここ10年間、特に1995年のもんじゅの事故以降、こういったコミュニケーションにはある程度お金を割いて、人材育成もしてきたはずなんです。しかしそこがまったく機能しなかった。さらには、こうした問題は単に科学的な情報をわかりやすく解説するだけではなく、どういう対策が必要なのか、今何をすべきなのかまで含めないと、われわれ一般市民は安心できない。何をしていいかわかりません。すると必然的に科学的な情報だけではなくて、政府が何をしようとしているのかという対策の部分までわからなければいけない。そこまで含めてコミュニケーションができる人が政府の内部にいる必要があるのですが、結局全然いませんでした。本来必要だった情報やメッセージはことごとく、「直ちに影響はない」という言葉に代わって、まったく提供されなかったのです。
一方これは現在も続いていますが、例えば放射線防護、除染や避難といったことに関して、国際的な考え方としては本来、住民参加、住民主体が重要です。しかしそうした意識が政府にはまったく見られないという大問題もあります。

震災後にしてきたこと

個人の対応ではなく、制度がないと持続しない

 そしてもう一つ、専門知を社会の中で活用するシステムの不在という問題。これも長坂さんのお話に直接関連しますが、例えば日本学術会議という大きな学者の団体があります。この会には「政府に対して助言をする」という役割が与えられているんですが、今回これもまったく機能しませんでした。学術会議のメンバーに対しても政府からは全然情報が来ず、結局、彼らも新聞やテレビやネットという、われわれ普通の一般市民と変わらないところから情報を得ていたそうです。
こういった組織や政府の体たらくに対して、まさに先ほどの長坂さんのように、また早野さんのように、自ら動いた研究者もたくさんいらっしゃいます。また市民自身もいろいろなネットワークをつくったり、恊働したりして急速に動きました。
社会学者の宮台真司さんは「これまでの日本は“任せて文句たれる社会"だったが、自ら“引き受けて考える社会"へ変わりつつある」と最近言っています。確かにその実感はあります。けれども、研究者個人にとって、早野さんのような活動をずっと続けていくのはかなり大変でしょう。研究者とは大学教員であり、研究の主体であり、日ごろの仕事があります。災害時の活動をさらにプラスアルファでやるというのは本当にしんどいだろうという気がします。私自身も、実は早野先生をTwitterでフォローさせていただいているんですが、いつ寝ていらっしゃるんだろうといつも心配になっていました。
やはり個人の対応ではなくて、もっとシステムとして制度的なかたちで対応しなければ、本当に持続しません。またそれに対応する専門的な人材をきちんと育てて雇い、社会の中で確保しなければ、こういう活動にはどうしても無理が出てきてしまいます。
それから市民の側の問題として、科学的な問題、今回の場合ですと放射能の問題に関して、どうしても専門性が足りません。市民に対してどうやって専門家の側がサポートできるか。もう実際にやられている人はたくさんいらっしゃいますが、彼らの活動をどう広げていけるか。これはさっき言った研究者がどこまでできるか、という問題にもなってくるのではないでしょうか。

平川秀幸 プロフィール
平川秀幸
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター 准教授
1964年生まれ。専門は科学技術社会論。科学の外側の立場から、科学のあり方を問う気鋭の論客。特に震災後は、科学をめぐる既存の体制に厳しく切りこんでいる。著書に『科学は誰のものか』(NHK生活人新書)など。

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YouTube: イベント記録映像(2時間38分 イベント開始は5分40秒からです)


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