インタープリターの最先端研究施設訪問記
 

溝部鈴 研究に秘められた思い

溝部 鈴

DNAに含まれる塩基はなぜたったの4種類なのか疑問に思ったことはありませんか?その謎がいずれ解明されるかもしれないという研究をご紹介します。

伝暗号の謎に迫る〜人工塩基〜
生命が誕生したのは今から約40億年前、ヒトが誕生したのは約500万年前と言われています。人間は生命の起源を探り、多様に進化した生物の不思議、そして人間とは何かという究極の疑問に対する答えを見つけようとしてきました。この生命科学最大の疑問を解決する新たな一歩を踏み出した研究が、理化学研究所で行われている人工塩基の研究です。
理化学研究所の平尾一郎先生は、この40億年間、自然界には存在しなかった(かも知れない?)新規の塩基対を合成しました。生命の設計図の本体であるDNAは二重らせん構造という特徴的なかたちをしています。二重らせんの内側には塩基という物質が並んでおり、それはたったの4種類です。A,T,G,Cという4種類の塩基の並び方が多様な生物それぞれをかたちづくるための情報になっています。
DNAは生命にとって必須である「複製する」という機能を持っています。内側に並ぶ塩基はそれぞれAとT、GとCが対になって二重らせんという特徴的な構造をとり、複製時には、二本の鎖がはがれて、お互いに新しい相手をつくると、前と全く同じ物が二つできるのです。

二重らせんの幅はたったの2nmです。二重らせんの形を壊さずに新規の塩基対を挿入する、ということは並大抵のことではないでしょう。原子一つ分の大きさが合わないだけでらせんは壊れ、複製能力を失ってしまいます。平尾先生は二重らせんの幅や塩基間の距離にぴったりの物質をデザインし、見事に人工DNAを創ることに成功しました。人工塩基の合成は世界中の研究者の目標でした。多くの研究者が競ってデザインし、成功を夢見ていました。平尾先生もおそらくその一人だったはずです。平尾先生の成功のニュースは、世界中の生命科学者を震撼させたに違いありません。しかし、なぜそれ程までに人工塩基をつくる必要があったのでしょうか?
NMR(Nuclear Magnetic Resonance:核磁気共鳴)装置
平尾先生の研究室で開発された人工塩基対の一つ

生物はATGCの並びをもとに、その体をつくり、生命活動を行うタンパク質を合成しています。タンパク質とは、20種類のアミノ酸が数百から数千個つながったものですが、そのアミノ酸の並び順を決めているのが4種の塩基の並びです。4種の塩基のうち、たとえばAATのように3種を組み合わせてアミノ酸20種それぞれに対応した遺伝暗号が形成されます。ここに新規の塩基を加えるとその暗号数は3倍以上に増加します。
平尾先生の研究室では、合成した人工DNAに含まれる新規の遺伝暗号を用いて、生体には存在しない21番目のアミノ酸が思い通りの場所に組み込まれたタンパク質の合成にも成功しました。人工DNAを生物の体内と同様の過程で働かせることができたのです。アミノ酸が一つ加わるだけで、タンパク質のバリエーションは飛躍的に増加します。従来のものに一つ新規のアミノ酸が加わるだけで、多様な機能が生まれます。これが、22番目、23番目・・・と増えていけば、自然界には存在しなかったような新たな機能をもつタンパク質のデザインが可能になるでしょう。この技術は様々に応用される事が期待されています。創薬では、現在治療が不可能な病気も治す事ができる薬を開発できるかも知れません。また、理研が中心になっている「タンパク3000プロジェクト」(タンパク質の全基本構造の1/3(約3000種)以上のタンパク質の構造及びその機能を解析し、利用可能なデータベースを作成するプロジェクト)でも大いに役立ちそうです。
広範囲な実用性も去ることながら、お話を伺いながら平尾先生の真の思いはそれだけではないと感じました。なぜ塩基は4種類なのか、その答えは未だ見つかっていません。平尾先生は自然が選択しなかった塩基を加える事で、その理由を探ろうとしています。ヒトは何処からきたのか、生命とは?そんな生命の起源に迫る人類最大の難問に、平尾先生は具体的な解決方法を生み出したといえるでしょう。

平尾先生から人工塩基をご説明頂いた時、某人気科学ミステリー番組の話が登場しました。「宇宙人DNAの塩基配列を解析したところ、地球上の生物の塩基配列決定装置では認識できない塩基が含まれていることが分かった」というエピソードです。人工DNAを解析すると、同様のデータができたと平尾先生はとても楽しそうにお話して下さいました。先生はまさにそれを実証したといえるのですが、「テレビでは間違いが一つあるのですけどね・・・」とのこと。皆さんは何かお気付きになりますか? 平尾先生

人工塩基のような生命の神秘に挑む壮大な研究も、様々な実験技術に支えられています。神秘的なお話だけではなく、現場の苦労を垣間見られるのも研究所一般公開ならではでしょう。
 次にご紹介するのは、世界中の研究者が速やかに実験を進められるようにと、理化学研究所が開発した技術です。河合純先生と技術員の中村光江さんにお話を伺いました。

遺伝子百科事典〜DNAブック™〜
「DNAブック™」と聞いて何を思い浮かべますか?DNAで出来ている本でしょうか?それともDNAを持っている生物のような本でしょうか?
 様々な生物のゲノム情報の解析が進み、その情報はインターネットで何処からでも引き出す事ができるようになりました。しかし、情報だけで実験が進むわけはなく、DNAそのものが必要になります。 理化学研究所では約6万種類のマウス遺伝子を所有しています。もちろん理化学研究所でしか所有していない遺伝子もあるので、それらを必要な研究者のもとへ届けなければなりません。DNAは通常、大腸菌に導入した形で輸送されます。つまり生ものです。長時間の輸送のためには大きな箱に数キロのドライアイスが必要ですし、税関でのトラブルも頻繁に起こります。そこで開発されたのが「DNAブック™」です。多数の遺伝子を本というコンパクトな形にまとめることで、輸送費の節約、保存の簡易化を可能にしようという発想から生まれました。DNAブック™は一見すると百科事典のような本です。
DNAブック

ページを開くとそこには赤い染みの様な点が並んでいます。その赤い点のなかにDNAが含まれています。利用者はその赤い点を切り取って使用します。DNAブック™の特徴はその紙にあります。赤い点を切り取り、水に溶かします。DNAは水に溶けますが、紙も一緒に溶けてしまうのです。この透明な溶液をそのまま実験に使用することが出来ます。
この研究で一番苦労したことは何ですか?という問いに河合先生は「発想はシンプル。生化学と、それまで生化学と無縁であった分野の技術を融合させることが、難しく、とても大変でした。」とお話して下さいました。残る課題は、生産工程の確立。水溶性の紙ということから、通常の印刷が困難であり、現在DNAのスポット作成も中村さんが一つ一つ手作業で行っているそうで、自動化が難しいということです。それらをクリアすれば生命科学界の大ベストセラーも夢ではないかもしれません。そんなベストセラー候補には、生命の謎に迫る研究が速やかに進んでほしいという河合先生、中村さんの熱い思いが込められているのです。  以上に御紹介した二つの研究以外にも、理化学研究所では様々な研究が行われています。一般公開では、正直、難しそうで私にはちょっと・・・と避けてしまいそうな最先端の研究の紹介もされていました。しかし研究者のお話を伺ってみて、子どもの頃に味わった"わくわく"が蘇った気がします。しかも、ノーベル賞候補ともいえる研究者から直接お話を伺えるという非常にラッキーな訪問でした。楽しそうにお話しされる研究者の表情を見ていると、表面的には難しい研究も(実際も難解なのですが・・・(研究者の生物に対する"わくわく"に支えられているのだと感じました。新聞や本で最新の情報を入手することは簡単ですが、現場の方々の思いと共に科学を考えるのも、またひと味違った科学の楽しみ方ではないでしょうか。もっと知りたい!と人に思わせるような研究が理化学研究所にはたくさん詰まっています。子供から大人まで、科学の不思議、楽しさに触れられる貴重な機会だと思いました。来年の開催も楽しみにしています。

DNAブック™ は、2003年11月5日、日本科学未来館に1冊寄贈されました。
河合先生の所属する研究グループのプロジェクトディレクター、林崎良英先生が来館され、毛利館長に贈呈した際の模様が、当館のHPにも紹介されています。
林崎良英先生


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