インタープリターの最先端研究施設訪問記
 

松原志緒 巨大基地の小さな大発見

松原 志緒

おそらく理研横浜を見学する機会があればまっ先に目にとまるものがある。敷地内に立ち並ぶ月面宇宙基地のような不思議な銀色のドームだ。私達は理研のご好意によりそのドームの中を見学させていただくことができた。ドームの中をのぞいて驚いた。ドームの中には本当にUFOのような形をした巨大な月着陸船があったのである。実はこれこそが横浜理研が誇る世界最高レベルのNMR(Nuclear Magnetic Resonance:核磁気共鳴)装置である。 NMR(Nuclear Magnetic Resonance:核磁気共鳴)装置

NMRとは、簡単に言うと強力な磁気の力を利用してタンパク質の形を見る機械である。タンパク質を「見る」とはいってもタンパク質の大きさは100万分の数mmというとても小さなものなので実際には形を「見る」というより形を「計算する」といったほうが近いかもしれない。「これが今まで得られたデータです」見せていただいたスライドには赤と緑のリボンのようなラインで描かれた不思議な形が並んでいる。これが理研で解析されたタンパク質の形だ。赤と緑のラインはタンパク質の基本的なモチーフを現している。100万分の数mmという目に見えないほど小さなものを見るためにこの巨大な月着陸船の形をした機械と月面基地のようなドームが作られたのだ。 解析されたタンパク質の形

どうしてタンパク質の形を見ることがそれほどまでに重要なのだろう?

タンパク質は私達ヒトを含む生物を構成する重要な物質である。筋肉や皮膚など体を形作っているのもタンパク質であり、食べ物を食べると消化するために分泌される消化酵素も主にタンパク質、ホルモンなどのように体中に様々な情報を伝えるタンパク質もある。ヒトの体はこのような10万種類以上(タンパク質の種類はまだ研究中でその数ははっきりと決まっていない)のタンパク質で構成されていると考えられている。タンパク質はそれぞれ独自の形を持ち、まるで鍵と鍵穴のようにタンパク質同士が作用しあうことで複雑な生命活動が営まれている。そのタンパク質同士の微妙なバランスが崩れると生命活動が蝕まれ、病気を発症する。病気の原因をタンパク質レベルで突き止めることができればその治療法も明らかになるかもしれない。例えば、ある病気のきっかけとなる原因物質が細胞表面のタンパク質を足がかりとして体内に侵入するというようなことがわかった場合、細胞表面のタンパク質の形を明らかにしてそこに蓋をするような形の化学物質を作り出すことができればその病気に有効な薬となり得る。そのため、タンパク質の形の解明は世界中が注目する大プロジェクトなのだ。

現在日本ではタンパク質の全基本構造の1/3(約3000種ff以上の構造と機能を解明し、利用可能なデータベースを作成するための国家プロジェクト、「タンパク3000プロジェクト」が進められている。その中心となっている機関がこの理研なのだ。特に横浜理研ではこの月着陸船のような最大900MHzを筆頭とする数多くのNMRがあり、タンパク質立体構造解析の中心的な役割を担っている。特にNMRは他の機器に比べて水溶液の状態で解析できるという特長がある。タンパク質が生物の体の中にあるより自然な状態で解析することが可能になる。つまりタンパク質が互いに結合したり、変形したりする様子が観察できるのだ。
 「こちらがセットするタンパク質のサンプルです」小さめのストローのようなガラス管に目薬数滴分くらいの水溶液が詰めてあった。この巨大な機械にセットする試料がこんなに小さなものだと聞いてびっくりした。しかし、このほんの少しの試料にも研究者の血のにじむような努力がぎっしりと詰まっている。試料の水溶液の濃度は驚くほど高い。本来体に微量にしか存在しないタンパク質をこれだけ大量に集めることは容易なことではない。横浜理研では、解析用のタンパク質を効率よく収集するため人工的にタンパク質を合成する新たな手法も開発している。世界に貢献するたったひとつのことを発見するに至るまでに数多くの研究者の地道な作業が支えているのだ。

NMRはそれほどまでに大切な機械だからわざわざ立派に見えるドームで囲まれているのだろうか?いや、ただ見た目の問題ではない。この銀色のドームは内側から見るとわかるのだが全て木製なのである。強力な磁力を用いるためNMRのそばに磁力に反応するような金属類が少しでも存在すると解析データに影響が出てしまうのだ。そのため強力なNMRは金属製の物質がそばに存在しないよう細心の工夫が施されている。わたしもUFOのような巨大NMRを間近で見てみたかったがフラフラ近づいて大切なデータを台無しにしては大変だ。ドームの入り口までの見学で我慢することにした。宇宙基地のような銀色のドーム群もただのお洒落ではないのだ。ぐるりと周囲を見渡すと同じようなドームの入り口が並んでいて一瞬自分がどこにいるのかわからなくなる。場所を確認しようとドーム状の部屋の名前を見てみると「牡丹」「藤」「桜」…?まるで旅館の部屋のような名前だ。「12ある部屋の名前は花札の12の月名からつけたんですよ」案内をしてくださった廣田洋プロジェクト副ディレクター(ゲノム科学総合研究センター)が照れくさそうに笑った。これはただのお洒落らしい。日々実験にいそしむ研究者も実はこんな遊び心にあふれている。


<< 戻る    


  (C) 2005 NATIONAL MUSEUM OF EMERGING SCIENCE AND INNOVATION