インタープリターの最先端研究施設訪問記
 

理化学研究所脳科学総合研究センター

 理化学研究所脳科学総合研究センター(略称:理研BSI)は、日本国内で数少ない"脳"を総合的に研究する機関です。「脳を知る」「脳を守る」「脳を創る」の3領域で1997年10月の発足、その後2003年4月から「脳を育む」を加えた4領域で、先端的な研究成果を世界に発信し続けています。2004年2月20日、日本科学未来館のインタープリターが、理研BSIを訪問、その研究の一端を紹介します。
BSIの展示施設Brain Box。脳の大きな模型や、脳の学習機能について体験できる展示を備えている。 


1 理研BSIとは?(文責:科学技術スペシャリスト 長神風二)
 際。独断を恐れずに言えば、理研BSIを一言で表す言葉だ。
 まず、学"際"。脳研究は、神経細胞の間を行き来する伝達物質一つ一つの分子の研究から、心を扱う研究まで、膨大な領域をまたぐものだ。研究者のバックグラウンドが違えば、研究手法も、使用する機器・機械や専門用語、果ては研究生活のスタイルまで、大きく異なるものだ。そんな幅広い研究者400名以上(技術職含む)が、知る、守る、創る、育む、という斬新な分類による4つの領域に分かれながらも互いに連携しながら、研究を進めている。
 そして、国"際"。センターで行われている研究は基本的に5年の期限のついたプロジェクト研究で、公募で選ばれたチームリーダーに大幅な自由裁量が与えられて遂行される。チームリーダーも各チームの研究員もいずれも国籍の差別無く採用される。甘利俊一センター長は、1/3を外国人に、という目標を掲げているが、実際には1/5程度という。それでも国内の研究機関としては異例の高さだろう。2月の私どもの訪問では4研究室を訪ねたが、そのうち3つは外国人のリーダーに率いられていた。
 "際"もの。悪い意味で使われることの多い言葉だが、理研BSIの研究には、伝統的な理系の研究の観点から見れば、たかだか5年前にはそれこそ「際物」扱いされかねなかったものも含まれている。理系の学問研究として成立する要件である再現性の確保などが、実験技術等としてようやく整った、その直後には既に研究センターの一部門として旺盛な研究活動を行っている。この「際どい」領域に挑んでいること、その挑戦性がまさに理研BSIを特徴付けている。
取材に答えて頂いた甘利センター長。センターの概要を丁寧に説いて頂いた。自ら率いる脳数理研究チームについては、「空理空論をやるところ」と嘯く。

2 理研BSIの研究者たち

■岡田真人博士(領域「脳を創る」 脳数理研究チーム 副リーダー)
岡田先生は、甘利センター長の率いる脳数理研究チームの副リーダーとして、ヒトの脳の働きを数学的にモデル化する研究に従事しています。岡田先生の御研究に関して、インタープリター林裕子がレポートします。
「脳のしくみを数学で解く」

「脳が情報処理するしくみを解明する。」これが脳数理研究チームの研究です。でも、一体どのようにすれば複雑な脳の働きを解明できるのでしょう? 副リーダーの岡田真人先生の研究をご紹介します。
 


■チェン(程康:Kang Cheng)博士
  (領域「脳を知る」 認知機能表現研究チーム 副リーダー)
「触らず切らず、ミクロに迫る」

理研BSIは、病院にある通常の装置の2倍の磁場(4テスラ)のMRI(核磁気共鳴装置)を所有していますが、この装置を利用する研究のリーダーが程康博士です。程康博士に研究室を御案内頂き、お話を伺った模様について、インタープリター渡辺真由子が記します。
 


■ヘスラー博士とイオアニデス博士
国際色の豊かな理研BSIには、外国人のチームリーダーも多くいらっしゃいます。
領域「脳を育む」の発声行動機構研究チームのリーダー、ニール・ヘスラー博士は、アメリカ出身の俊英。博士の研究には通常の研究室では聞きなれない音が響いています。錦華鳥(きんかちょう)。体長わずか10センチ程度の小鳥が鳴き声をあげているのです。


研究室を案内して下さるヘスラー博士
鳥は、ヒト以外で発声を学習する数少ない動物のひとつ、といわれているそうです。生まれたての雛鳥もピーピー鳴いているのに、と思いましたが、単純に声をあげるほかに、習わないと出来ない発声があるそうです。ヘスラー博士は、"call (地鳴き)"と"song(歌または、さえずり)"と二種に単語を使い分けて説明します。単純に声を上げる"call"は学習の必要もなく、オス・メスともに発声できますが、抑揚のついた"song"は学習を終えたオスだけが"歌える"もの。学習は父親の声を聞くことで行われ、学習なしで育った鳥はうまく歌えない、ということです。ヘスラー博士は、オスの雛が生後数ヶ月かけて、この歌を学習していく過程で生じる脳の変化を様々な手法で研究しています。鳥の行動から、脳の活動、ニューロン一つ一つ、その細胞の中の分子のレベルまで、全てを対象に研究できることが、錦華鳥を用いて研究する最大の魅力だそうです。

キプロス出身のイオアニデス博士は、領域「脳を知る」の脳機能ダイナミクス研究チームのリーダーです。ご案内頂いた研究室に入ると、壁の分厚い特殊な部屋が目に入ります。ここが、イオアニデス博士の研究を支えるMEG(脳磁計)が収められているところ。ヒトの脳が活動すると、脳に微小な電流が流れますが、それによって生じる微弱な磁場の変化を、150個余りのコイルを備えた装置で検出します。外からの磁場の影響をシールドするために特殊な壁で覆われ、中に入る被験者の居心地が出来るだけいいように内部はしつらえられ、ここだけを見ると、一般にある「脳の研究」のイメージからはかけ離れているようなものです。チェン博士らが高磁場のf-MRIを用いて空間分解能を高めようと挑戦しているのに対して、イオアニデス博士らはMEGの特性を生かし、時間分解能の高い測定を行っています。シールドされた部屋の中でくつろぎ(?)ながら、被験者は様々な刺激を受け、その時の脳の活動が測定されます。最終的には「人間とは何なのか?」が興味の対象なのだ、と語るイオアニデス博士。音楽を聴いているときの脳の活動も研究のターゲットです。


故国を遠く離れて日本で研究するお二人に、この理研BSIについて伺うと、まるで示し合わせたかのように同じ答えが返ってきました。「経験した中で間違いなくベスト」「申し分ない」と。最先端の研究を行うには、それをサポートする体制も最先端に、次項では、私どもが見学したその一端を紹介します。


シールド室内で、被験者の座るシートを前に、説明して下さるイオアニデス博士。

3 "最先端"を支える―――リサーチリソースセンター

短い契約期間の中ですぐに成果を出さなくてはいけない研究ポスト。機器や装置を揃えて研究室を立ち上げ、スタッフを集め、同時に新しい環境に慣れ、というところに長い時間をかけていると致命的な遅れになりかねません。そこで、共同利用する実験設備などのインフラ整備は欠かせません。リサーチリソースセンターは、理研BSIに結集する研究者達の高度な要求にこたえています。
理研BSIの予算・人員の約2割を割いて運用されるセンターは、12万匹のマウスを筆頭に様々な実験動物を飼育する動物実験部門と、共同利用の機器を運用する研究機器部門に大別されます。板倉智敏グループディレクターにご案内頂いた動物実験施設は、非常にたくさんの動物が飼われている施設ですが、清潔そのものの印象。維持・管理に手間のかかる膨大な業務を、如何に効率的に行うか、工夫の凝らされたものでした。また、胚操作、トランスジェニックやノックアウトマウスの作製、抗体作製など、習熟が必要な実験技術に関して熟練したテクニシャンが請け負うなど、研究者へのサポートは施設面にとどまりません。また、質量分析、ペプチド合成、クロマトグラフィーなどの種々の機器も共同利用できるように整備され、効率的に運用されています。また、各チームが独自にもつ技術や材料を、他のチームが有効活用できるようなシステム作りや、有期プロジェクトの終了や研究者の移動に伴って生じた余剰資材の再利用にも取り組んでいます。
「来たその日から実験できるように。」見学を通じて、板倉ディレクターのこの言葉が決して誇張ではないことがわかりました。また、外国人研究者たちに異口同音に、理研BSIを"ベスト"の環境と言わしめている秘密を垣間見た気がしました。

4 終わりに

見る、ということはどういうことだろう?聞くということはどういうことだろう?話すということは?意識って、知性って何だろう?ヒトがヒトであるということは、どういうことなのだろう?―――これまでの科学では答えられなかった、そして、古くからの疑問の数々が、脳の中に隠されています。脳について、分子生物学が遺伝子を調べ、細胞生物学がニューロンを調べ、心理学が意識や行動を調べ、解剖学が神経線維のつながりを調べ、それぞれが孤立していた状況から、お互いの間につながりが出来つつあります。理研BSIは、脳科学"総合"研究センターの名のもとに、これまで幾多の学問分野で培われてきた知識や技術を総合して、ヒトの体の中に残された一番謎に満ちた器官に迫ろうとしています。日本科学未来館も、理研BSIの活動にこれからも注目し、その動向を伝えていきます。


協力、写真・図版提供:理化学研究所脳科学総合研究センター




  (C) 2005 NATIONAL MUSEUM OF EMERGING SCIENCE AND INNOVATION