科学の世界をディープに語る クロストーク

vol.1

science book cafe 2009

先端バイオロジーが加速する、科学とアートのゆくえ

イベントの1シーン

いま、遺伝子工学、再生医療、マイクロマシンといった先端科学技術は、「人間が人工的に細胞(生命の基本単位)をつくりだす」ところまできている。岩崎秀雄氏は、そこで使われる技術やバイオ素材を使い、独自の切り絵の世界と組み合わせた、かつてない芸術表現を追究するアーティストだ。岩崎氏はアーティストであると同時に、科学者でもある。いや、科学が本業といってもいい。早稲田大学で生物リズムを研究し、日本の若手研究者による学会「細胞を創る研究会」を率先する。 科学にとってアートは、アートにとって科学は、どのように存在し、どこへ向かうのか? 科学とアートの境界面に立つ岩崎氏に、デザインジャーナリストの藤崎圭一郎氏が聞いた。
2009年8月29日開催の青山ブックセンターでのトークイベント「先端バイオロジーが加速する、科学とアートのゆくえ」をもとに構成。

文=桑子朋子(日本科学未来館 科学コミュニケーター)

岩崎秀雄

(生物学者。切り絵+バイオメディアアーティスト/早稲田大学)
岩崎秀雄研究室
whos whoWho's Who

藤崎圭一郎

(デザインジャーナリスト。エディター)
whos whoWho's Who

文章で読むクロストーク

まずは切り絵を触ってほしい

藤崎 ── 初めて岩崎さんの作品を見たとき、これは切り絵なのか?と、緻密な技巧に驚きました。

岩崎 ── 黒の模造紙をデザインナイフで切って絵をつくります。一見、木版画に近いのですが、切り絵は立体的に展示することで、裏返して見たり、光を透かしたり、触ったりすることができます。触るときに手に伝わってくる感覚が好きなんです。

藤崎 ── 触りながらインスピレーションを得るのですか?

岩崎 ── はい。設計図や下絵は使いません。すべて即興で、この次はざわざわっとした手触りが欲しいから、じゃあこうしよう、とつくっていく。子供がクレヨンで楽しそうにぐるぐるーとぬりたくっているのと、似ているかもしれません。もっとも、ものすごく時間のかかる「即興」なので,一気に仕上げるわけにはいかないところも特徴です。

藤崎 ── 切り絵はいつ始めたのですか?

「Metamorphorest I」2008
複数の抽象的な切り絵を立体に空間構成したインスタレーション作品。第9回SICF(東京・青山スパイラル)にて展示。

岩崎 ── 7歳のとき、中国のお土産の孫悟空の切り絵に感動し、真似てみたのがきっかけです。最初の作品は、「くじらさん」でした。絵を描くのも好きでしたが、なぜか切り絵を続けて、大学生のとき、切り絵本来のエッセンスを探るうちに現在の抽象的なスタイルになりました。

“切り絵+シアノバクテリア”の
新境地

藤崎 ── その切り絵に、研究対象であるシアノバクテリアの映像や培養細胞などを重ねた作品を発表されていますね。

岩崎 ── はい。生物リズムの研究を10年以上続けていますが、切り絵に様々なバイオ素材を組み合わせるようになったのは、最近です。美大の学生を受け入れ、研究室のアトリエ化も試みています。会場の展示作品で、天井に吊った切り絵を透過させながら壁に投影した作品を見てください(右の写真)。うねうねと動きまわり、ムンクの顔のように見えることもある。これは、大学の池で採取したシアノバクテリアを、特殊な顕微鏡で撮影したものです。

「Midori-Ningen Progect」2009−
勤務する早稲田大学のキャンパスの池からも、色々な形態を示すシアノバクテリアを採取することができる。

「CyanoGenesis」2009
MAKE! Tokyo Meetingでの展示のひとコマ。動く「ムンクの叫び」?

藤崎 ── この映像素材は、アート作品として撮ったのですか? それとも研究のため?

岩崎 ── アート作品、という位置づけです。この動画は、多細胞性のシアノバクテリアが集まって集団行動をしながら複雑なパターンを生み出す、非常に面白い現象です。効率良く集団を形成し、光に向かって成長するシアノバクテリアの性質に関係があると思います。実はこの現象は生物学者にはあまり知られていません。なぜ?を調べればサイエンスになります。でも私はそれ以前に、この動くパターン、模様に強く惹きつけられた。私自身が切り絵で模様をつくるのを、バクテリアにせせら笑われているような気さえするんです。

藤崎 ── 切り絵をつくるときには、シアノバクテリアの動きや模様を意識するのですか?

岩崎 ── いいえ。切り絵が先行しているので、それはありません。ただ私は、自然界の様々な綺麗なものの中でも、不規則でうねうねっとしたものが好きなんです。シアノバクテリアと切り絵を対比させた作品をつくってみて、初めて、ああ、私はこれをやりたかったんだと、気がつきました。

藤崎 ── 別々に続けてきたアートと研究が、岩崎さん自身が気づかぬうちに、だんだん似てきてしまった、ということでしょうね。

「Midori-Ningen Progect」2009−
黒い切り絵の中にフラスコが置かれ、フラスコの中で多細胞性のシアノバクテリアがヒト型に培養され、柔らかな膜を作りながらふんわりと育っている。

「Metamorphorest II」 2009
  立体的に配置した切り絵に、バクテリアの運動の様子を撮影した映像をプロジェクションした空間構成作品。第10回ハバナ・ビエンナーレ(キューバ)にて展示。

シアノバクテリアの体内時計

岩崎 ── 私は体内時計(生物リズム)と形づくり(発生)の原理を、シアノバクテリアで研究しています。シアノバクテリアは、太陽の下ではアクティブで、暗くなると活動を抑え省エネします。体内では24時間周期のリズムが刻まれていて、そのリズムをつくる成分(=タンパク質)は、時計遺伝子によってつくられているのです。

藤崎 ── 人間も寝たり起きたりのリズムがありますね。あれも時計遺伝子によるのですか?

岩崎 ── はい。人間の体内時計を司る時計遺伝子は、20から30種類あるといわれ、はっきりとはわかっていません。私の研究チームは、シアノバクテリアの時計遺伝子がたったの3種類であることを証明しました。実験では、この3種類の遺伝子からできるタンパク質を、試験管の中で混ぜ、うまく濃度をそろえてやると、化学反応がリズムを伴って進むことを発見しました。これは考えると不思議な話です。例えばカップのコーヒーにクリームを落とすと、最初はうずまき模様ができて、やがて2つの成分は混ざります。しかしその後、もういちど渦巻き模様になってコーヒーとクリームに分かれてしまうというようなことは起きません。それが、先ほどの実験では、24時間周期で起きたのです。

藤崎 ── 生物の体内時計を試験管の中で再現した、という画期的な研究なのですね。

岩崎 ── そうですね。私のもう1つの研究テーマが、「生物の形づくり」、つまり「発生のしくみ」です。人間も始めは丸い受精卵ですが、細胞がどんどん増えていくと、目の細胞、皮膚の細胞といった性質の異なる細胞ができていきます(=細胞分化)。それと同時に、できあがった細胞が、適切な位置に、目は目の位置にちゃんと配置される。私は人差し指に目があると便利だと思うのですが、そうはならない(笑)。そうした細胞の「分化」と「位置情報」の決定はどうしてなされるのか。発生のしくみを知りたいのです。

藤崎 ── 単細胞のシアノバクテリアで、そうした形づくりの研究ができるのですか?

時計遺伝子からできるタンパク質(Kai)が、24時間周期の化学反応振動を起こしているグラフ。試験管内で、3種類のタンパク質KaiとATP(アデノシン3リン酸)とを特定の比率で混合することで、生物リズムの再構成に成功した。

多細胞性シアノバクテリアの細胞分化パターニング
細胞が一列につながった多細胞性のシアノバクテリア。下の写真は蛍光物質で標識され、細胞が分化(異なる細胞に分かれること)する様子がリアルタイムで可視化される。窒素飢餓条件下のシアノバクテリアが、細胞を増やしながら等間隔に、分化した大きな細胞を自発的に生み出しているのがわかる。

岩崎 ── シアノバクテリアも種類によっては、多細胞なのもいます。特殊な方法で色分けして観察すると、最初の1個は一様に緑色だったのに、多細胞化して数が増えるとだんだん色に偏りができてきます。色の違いは、細胞の性質が変わったことを意味します。さらに、細胞が10個つながると、性質の違う細胞が1個出てくる、という等間隔のパターンが観測できた。この性質の違う細胞は、もとの細胞のように光合成をせず、かわりに空気中の窒素をとりこむ性質(=細菌の窒素固定能 *1)をもっていました。このようなバクテリアの形のパターンを決めている遺伝子は何かを、調べています。

*1 細菌の窒素固定能/空気中の80%は窒素。窒素は身体を構成するタンパク質の要素である。例えば人間も光合成人間になって糖分を自前でつくり、空気から窒素をとりこめると、肉を食べなくても日光を浴びるだけで生きられるはず。非常に便利だが、現在の地球では、窒素固定は一部のバクテリアだけがもつ能力である。

細胞をつくる研究とは

藤崎 ── 研究のお話をうかがっていると、まるで画家がキャンバスに自然を模写するかのように、科学者が試験管の中に生物のふるまいを模写していると感じます。

岩崎 ── そうですね。体内時計を試験管の中で再現したのは僕らが世界で初めてだったんですが、生物の身体の中の現象を再現しようとする研究は、世界的におこなわれています。身体を構成する分子とよばれる小さな部品を混ぜたら細胞をつくれるか?というところまで、今の生物学は、到達しているのです。
 細胞は生命の基本単位。ぼくら人間も60兆個くらいの細胞からできています。生物学の教科書の1ページ目には「細胞は細胞から生まれる」という有名な定義がありますが、人の手で細胞がつくれるとなると、その定義が変わるかもしれません。

藤崎 ── どこまで科学技術がやれば、人間が生命をつくった、と言い切れるのですか?

岩崎 ── 私は「細胞を創る」研究会の発起人の1人で、その問いには非常に興味をもっています。研究者にとっても難しい問いです。藤崎さんはどう思いますか?

藤崎 ── 増殖して構成成分を見ただけでは考えられないような性質が備わったら、細胞、つまり生命ができた、というイメージです。

岩崎 ── 私もいつもバクテリアを見ている微生物屋なので、「増殖=細胞=生命」とイメージします。けれども、研究会の発起人の中でも,哺乳類の脳の生物時計の研究者(理化学研究所 上田泰己博士)がいて、彼は細胞の増殖よりも、細胞同士がネットワークをつくる能力を再構成したいといいます。また、マイクロマシンをつくる研究者(東京大学 竹内昌治准教授)は、とにかく動くものが好きで、動いていないと生き物という感じがしないといいます。
 つまり、「私がつくりたい細胞(=生命の基本単位)」のイメージは、研究者ごとにすごく違うのです。状況はロボット研究と似ています。どこまでいったらヒューマノイドをつくったといえるのか、という問題のように。面白いところではありますが。

藤崎 ── 私が専門として見てきたデザインは、まず設計図があって、それから物がつくられていく世界でした。でも最近、そのものづくりの仕方が変わってきているように思えます。自然や生命から学ぶということが、重要になっている。その点からも、岩崎さんの仕事はすごくおもしろいな、と思うのです。

岩崎 ── 逆に生物学では、自然がつくっているものを観察して解析するのではなく、生命をデザインして理解するという、いわば工学的なアプローチが、最先端になってきています。生物学者が自分で描いた設計図をもって、生物の素材を使って実装し、ある機能をもったもの、つまり合成生物をつくれるのか。細胞をつくる研究は、まさにそれをやろうとしている。

藤崎 ── 人間が人工物を創造するプロセスと、生物が自己組織的に形やパターンを創造するプロセスの間には、科学的な関係性を見いだせるのでしょうか?

岩崎 ── まだ分かりませんが、その関係性はまさに知りたいですね。アートの切り絵と、科学のシアノバクテリアのパターン形成を、自分自身が一緒にやっていますから。

藤崎 ── 細胞をつくることに、倫理的な問題はないのでしょうか?

岩崎 ── 私は、細胞をつくりながら生命を理解するというアプローチは学問として健全で、やるべきだと思います。しかし一方で、細胞をつくるということを、誰もが「すばらしい」と思うわけではありません。畏れや、宗教的な問題を含め、いろいろな考え方があるでしょう。つくられた細胞が増殖したら、必ずDNAのミスコピーが起きますから、人間が予期しないものへと進化する可能性があります。
私は、自分が身を置いている「細胞をつくる」といった研究を、人々がどう受けとめるのかを観察し、そこに軋轢が起きるなら、ソフトランディングさせる方法を考えたいと思っています。

アートはサイエンスを相対化する

「Victimless Leather」2004
オーストラリアのバイオメディア・アーティスト、Oron Cattsの代表作のひとつ。生分解性プラスチックの鋳型で作ったジャケットに、マウスとヒトに由来する細胞を移植・増殖させている。動物を殺すことなく「革ジャケット」を作れるかのように思わせながら、実は赤い培養液の中には仔牛の血液が含まれているというアイロニカルな作品。2009-2010年に開催された「医学と芸術」展(森美術館)では、岩崎氏の研究室に作者が滞在し、協力して制作にあたった(右写真)。

藤崎 ── 岩崎さんはバイオメディアアート(*2)の動向をどうご覧になっていますか?

*2 バイオメディアアート/遺伝子工学や培養細胞といった先端の生命科学技術で扱われるバイオ素材、あるいはそこから導かれる概念を取り上げた現代アートをいう。

岩崎 ── 生命自体は古くからアートの本質的な表現材料になってきました。造園や生け花は伝統的なバイオメディアアートでしょう。20世紀末から新たに展開されつつあるバイオメディアアートにおいては,コンピュータやエレクトロニクスと芸術の融合を目指したメディアアートの延長線上に、さらに新しいメディアアートとしてのバイオメディアアートを位置づけることが可能です。さらに、必ずしもコンピューターアートと関係なく、新たに実際の生物やバイオテクノロジーを用いた作品作りも試みられつつあります。アーティストによってスタンスは色々だと思いますが、彼らの作品からは、様々な問いかけが発せられていますよね。たとえば、生命と自分たちとの関係をどうしたいのか、どうとらえていくのか、ということが、バイオ系のアートを通して、学んだり、確認したりできる。

藤崎 ── 岩崎さんの場合は、細胞をつくる、なんていうものすごいアーティスティックな科学のプロジェクトをやりながら、一方で切り絵をやっていらっしゃる。その使い分けはどうなっているのですか? 科学の仕事とアートの仕事は、ぜんぜん違うのですよね。

岩崎 ── 私は科学とアートの境界面に興味があります。境界面は明確にあるのでなく、たゆたっています。その境界面の上に立って、両サイドをのぞきこみたい。そもそも、科学とアートを対比すること自体がおかしな概念だと思います。アートの表現は、世界全部をのみこんでしまうほど巨大にもなるのですが、サイエンスの研究は、かなり限られた世界です。
科学は「これをやっちゃいけない」という項目が多い。シャープな解をえぐり出すために、彫刻で石から像を切り出すように、余分な部分をどんどん削ぎ落としていく行為です。そのための色々な手続きが制度化されています。だからこそ非常に強いし、多くのことがわかるシステムで、素晴らしい。でも逆にいえば、削ぎ落とされるものが必ずある。アートは科学が削ぎ落とすものを拾い上げることができます。私はサイエンスを相対化するためのエネルギーとして、アートが重要であると思っています。

藤崎 ── 雑誌AXISで連載してきた「未来技術報告」で、私は未来を見つめたい、という強い意志をもって、科学者に取材してきました。今、未来というと、環境破壊とか人口爆発とか暗いイメージが先にきてしまうのですが、科学者や技術者の方と話していると、必ず、前向きに先を見ていて、自分たちの研究が何かの役に立つだろうというポジティブさや、必ず世界を変えられるはずだ、という強い思いが伝わってきます。近い未来を見ているデザイナーにはない、遠くの未来を見つめる目線がそこにはあって、デザインジャーナリストの僕としては、そこに行かなくちゃいけない、と感じるわけです。 岩崎さんのこれからと、21世紀をきりひらく種になる科学者の研究に、これからも注目していきたいと思います。

2006 (C) NATIONAL MUSEUM OF EMERGING SCIENCE AND INNOVATION