科学の世界をディープに語る クロストーク

vol.1

メディアラボ第5期展示 特別対談 感覚回路考

自由なものづくりの先に拓かれる感覚

イベントの1シーン

本対談は、日本科学未来館3階で開催されたメディアラボ第5期展示「感覚回路採集図鑑」にあわせて、研究者 安藤英由樹氏と渡邊淳司氏からの、外部の方々との対話により、自らの研究の位置づけや意味を確認したいとの提案が発端だった。第一回の対談は、ゲストに妄想工作ニスト乙幡啓子氏を迎え、“目的に縛られないものづくり”の神髄に迫った。(対談は非公式)

撮影=邑口京一郎 編集協力=アイシオール

安藤英由樹

(情報理工学/大阪大学准教授)
安藤英由樹のホームページ

渡邊淳司

(情報理工学)
Junji WATANABE Reserches in progress

乙幡啓子

(妄想工作ニスト)
オツハタ万博

文章で読むクロストーク

安藤と渡邊のアプローチ

メディアラボ第5期展示「感覚回路採集図鑑」のDM。本展示は、2009年10月7日〜2010年3月1日の期間開催。→感覚回路採集図鑑

乙幡 ── 今日はお招きいただきありがとうございます。お二人のおつくりになるもの(*1)の世界はあこがれで、私もいつか潜り込みたいと思っていました。ちょっとしたことをハッとする方法で見せている部分にも惹かれますし、その奥には人間の身体の仕組みという下地があるので、やるなぁ、頭いいなと。
渡邊さんは以前、「僕は電子工作には全然興味ない」とおっしゃっていましたが、まずは、そんなお二人がどのように分業しているのか、うかがいたいです。

*1 二人のつくるもの/安藤・渡邊両氏のつくったもののひとつの分類にデバイスアートがあり、未来館「メディアラボ」で紹介された。デバイスアートとは、科学や技術との融合から生まれた、日本発の新しいメディアアートの動向。作品に使われている部品や装置、技術を隠すのではなく、それらが持つ本質的な面白さを形として表現するといった特徴がある。

安藤 ── すごく簡単に役割を言うと、僕は回路をつくるのは好きだけど、つくったものをどう見せるかの目的を考えない。どう見せるかは渡邊君の仕事で、僕は、とにかくつくって、できちゃったものを「どうしよう?」と持っていく感じです。

渡邊 ── 今回の「感覚回路」というコンセプトもそうですが、僕は考え方の構造をつくるのにとても興味があります。僕らは誰かに頼まれてものをつくっているわけではないので、見る人にとって新しい感覚や体験を提案できるような何かを考えます。新しい自分を発見したり、今までと少しだけ違うことができるようになって、それを人と共有したりする、何かです。

乙幡 ── それぞれにとって、ものづくりのクライマックスはどんな時?

安藤 ── 僕はもう回路屋なんで、設計して組み立てて、それが動いたらそこが頂点!ですね。

渡邊 ──僕は最初と最後ですね。コンセプトづくりとプレゼンテーション。

乙幡 ──むち打ってやらせて、最後だけとる、というイメージが・・・(笑)。

安藤 ──ずるいよね。ひどいよね。でも、それで成り立っているんですよね、きっと。

渡邊 ──僕、嫌な奴ですね・・・(笑)。 最初と最後と言いつつも、その間には、マネージメントとペーパーワークがあります。最初と最後は楽しいけれど、間はそれはそれで大変ですよ。僕は組み合わせて見せることに興味があって、異なるものを一緒にして意味づけしたりします。研究の分野にも、編集の仕事をする人が求められる時代がくるような気がするんです。

乙幡 ──安藤さんは、つくるとき何を考えているのですか?

安藤 ──パズル、かな。今までにないものと、もしかしたら便利かもしれないものとがあって、うまく揃うと、たぶん見たことのないビックリするようなものができる。新しいものは、分解して部品を取り出して、要素に戻って組み合わせますね。

乙幡 ──アイディアはいつ出てきますか?

安藤 ──基本的には人と話しているときが一番多いです。自分でまとめきれないものをいろいろ人とディスカッションしているときです。でも、ものづくりで行き詰まった時は、だいたい布団の中。

乙幡 ──ゼロからポッと新しい発想が浮かぶのは、どういう時でしょうか。

安藤 ──ひらめきはやっぱり布団の中ですよね。けっこう不眠症になったりすることがあって、電気消した部屋で目をつむって、パッと時計を見ると3時間経っていて、実は寝ているのかもしれないけれど。パッと思いついたときにメモをとれるようにしています。

乙幡 ──渡邊さんは?

渡邊 ──ゼロからポッと新しい発想というのはあまりないですね。新しい発想は、これまでの考え方を違うものに入れるとか、ズラして考えてできることが多いです。だからクリエイティビティという言葉には近くないかもしれません。アイディアを思いつきたかったら、僕は本をたくさん読みます。ひたすら読みます。

妄想?暴走?するものづくり

安藤 ──僕は中学のころ工作部で、草刈機のエンジンを自転車に積んでバイクみたいなものをつくって、怒られたりしていたのですが(笑)、乙幡さんの本(『妄想工作』廣済堂出版)を読むとその頃を思い出します。乙幡さんがつくるものには誰かに見てもらいたいというのが素直に出ていて、いいなと思います。妄想工作は、「デイリーポータルZ」の記事のためにつくったものが多いと思うのですが、掲載のきっかけは?

乙幡さんの作品より、トタン板でつくった六本木ヒルズ。

乙幡 ──最初はトタン板を使って六本木ヒルズをつくる(写真右)というネタを持っていったんです。ちょうど六本木ヒルズが建ったばかりで、ああいう象徴的な形だったので、昔からあるトタンという素材とハンダごてを使って、六本木ヒルズを最先端から引きずりおろそう、みたいな意思もあったりして。それを見た編集部の方から、もっと変な工作をいっぱいやって欲しいということになって、書き散らかしてきました。

渡邊 ──僕らの展示はどちらかというと骨組み、構造をつくっているように思うのですが、乙幡さんの作品には、テクスチャ、彩り感がありますよね。

乙幡 ──私は、ハッとするもの、すごく新鮮な驚きや気づきを、発信したいと思っているんです。手芸とか工作のように地を這うような方法論しか持っていないので、サーモグラフィ柄のセーター(下の写真)で見た目が温かくなるんじゃないかとか、少しベタな発想ですが。そんな私から見ると、やはり「デバイスなんとか」には、すごく宝の山があるように思えます。

乙幡さんの作品より、サーモグラフィ柄のセーター。

渡邊 ──手芸はその表現の幅に物理的制約がありますよね。でも、少なくともデバイスは物理のルールを越えることができます。ちょっとした魔法をつくれるというか、アドバンテージがあるんですよね。 それと、「とても綺麗でした」で終わるのではなくて、その綺麗さが見た人自身に関係のある何かであればいいと思っています。例えば、マジシャンって非日常をつくりますよね。ファンタジー。ふだんの生活とは異なる魔法の世界を見せてくれるのだけど、もし、マジックのなかで目の前に現れたものが、自分のおじいちゃんの写真だったり、自分と関係する何かだったら、その瞬間に、ガーンとつながるんですよ。その回路をいかにつくるかが重要じゃないかと思います。

乙幡 ──サッカード・ディスプレイの展示によって、初めて自分の眼に運動や速度があることに気づきますし、それを動かす筋肉があるに違いないとか、いろんなことにつなげていける。そういうところはやっぱり尊敬します。私はどうしても表層をすくいとることに頭がいってしまうんです。みんながふだん見ているけれど忘れているものとか。例えば、昔テレビで見たドリフの番組で、上からタライが落ちてくるみたいに全然違うところに、思っても見なかったものを出現させて、見た人の反応を見るみたいなことが好きです。もう一つ掘り下げて揺るがないものがあるといい、というのが自分の課題です。

渡邊 ──乙幡さんの作品は、トタンというおじいちゃんの時代のものと最新の六本木ヒルズをくっつけるということで、そこに何らかの破壊が入る気がして、すごくおもしろい。でも一見、おバカでしょ。ずるいなぁと思うんですよ。テクスチャの仮面をかぶった構造破壊の“確信犯”ですよね。乙幡さんのやられていることは、その“確信犯ぶり”が好きです。

乙幡 ──「妄想工作」という名前は、編集の人が出してきて決めました。自分の活動に名前を付けると活動しやすくなります。今ではもう、妄想工作ニストですね。妄って亡くなるに女ですが、何かに囚われるのは避けたいというのはありますね。女でもなく、男でもなく。
一つ一つの仕事の落としどころは、つくったものを最終的に記事にして、一般の皆さんにクスッと笑っていただくことなんです。見立て、あるいは茶化しをしていきたいとも思う。皮肉とか茶化し。暴走工作でもいいですね。なんか音が似てるし、おもしろいなって。2冊目は暴走工作?

乙幡さんの作品より、グルーガンでつくったリアルな粘菌マグネット。雑貨屋にありがちな動物や芝生のナチュラルでエコでかわいらしいマグネットに対し、ひねりを加えた作品。

安藤 ──僕がやっていることには、妄想はないかな。電子回路って妄想しちゃうと動かないんですよね。でも“暴走”はよくあります(笑)。僕自身が暴走しているんじゃなくて、回路が暴走しちゃうんです。まあ、どこか設計が間違っているんですけどね。そういうとき、彼らの気持がわかる(笑)。一生懸命やって燃えちゃったみたいな。
ものに対して、生きているようなイメージを持つことは多いですね。車もそうですが無茶な運転したらよく頑張ったねとか。回路が壊れて、「この人、壊れた」と言ったり。いつのまにか「この人」って言葉をよく使っていて、「この人」って誰ですか? って指摘されるまで気付かなかった。「え、この回路」みたいな。その辺は妄想はいっているかもしれないですね(笑)。

手つかずの畑を耕し、可能性をきちんと伝える

安藤 ──乙幡さんは、「なぜこういうものをつくるのか」と、聞かれませんか?

乙幡 ──はい。聞かれますし、困りますね。 先日、ある移動型ロボットの試乗会におじゃましたのですが、そこで、記者さんもそういう質問をするんですよ。「介護に役立つのか」とか、「どのように商品にするのか」とか。その視点で質問するのは悪いことではないのですが、研究者の方は、「途中成果をとりあえずここで形にして発表しています」と、繰り返しおっしゃっていました。
「人間に近い乗り物をつくる」という命題があって、今すぐに必要なものでもないけれど、研究する必要があると会社は考えて進めているわけですが、説明できないところに苦悩がある。私のものづくりと共通した何かがあると思いますね。私はあまり大上段には振りかぶらないものづくりが目標です。

安藤 ──思いついたことに対して先に出して見せておかないと、後から誰かに同じものを出された時に悔しい。ただそれだけ、みたいなところも僕にはあったりするんですけどね(笑)。

乙幡 ──私は、端から見ていると腹が立つくらい当てずっぽうで自由にやっている感じだと思います。脈絡や辻褄を合わせすぎても固まっちゃう気がして、ゆらゆらやっています。どこに向かっているかは、私自身、わからないです。

安藤 ──僕もどこに向かっているかわからないです(笑)。 でも、去年の4月から大阪大学で教えていて、その前はNTT(NTTコミュニケーション基礎科学研究所)で研究していましたが、基本的にテーマは変わっていません。「五感伝送」。人間の感覚を回線にのせて伝える何かをつくりなさいと言われてやっています。拘束条件はそれくらいで、結構緩い。思いついたものをパァーッとつくって、後から理論づけていく。新しい技術が出たら、とりあえずちょこちょこっとしたものをつくると、まだ誰も見たことのないものができるでしょ。じゃあ、もっと便利にするにはどうすればいいのか考えていくというやり方です。
例えば、サッカード・ディスプレイ(*2)。2001年頃、渡邊君が単色で実験していて、そのうちプログラマブルロジック回路(*3)が一般的になり、マイコンでできなかったことができるようになったので、じゃあこれを使ったらカラーになるんじゃないの?って、僕が提案した。「五感伝送」の中で、特に、視覚と聴覚はかなり研究されていて、その上で新しいことができるんです。

安藤氏と渡邊氏が開発したサッカード・ディスプレイ。目を左右に動かした瞬間だけ二次元の画像が見える。

*2 サッカード・ディスプレイ/人間の眼球は無意識のうちに、見たいと思う方向へものすごいスピードで動いている。この現象(サッカード)を利用して、目が左右に動いた瞬間だけ、1本の光点列から二次元の画像を見ることができるディスプレイ(右の写真参照)

*3 プログラマブル・ロジック回路/固定された通常の集積回路に対し、ユーザ自らが内部の論理回路を設計することができる集積回路。

乙幡 ──おっ、ここ、まだ耕されていないぞっていうのがあれば、畑みたいに耕す、感じですか?

安藤 ──そうです。だから土地探しみたいなところがある。工学の研究ってそういうのが多いんですよ。

渡邊 ──技術として、これで何ができますというのを考えるのと、それが実際、どのように役に立つのかを考えるのとでは、段階が違う気がします。

安藤 ──例えば、半導体を研究している人たちの多くは、どうすればCPUが速くなるかを考えますが、計算能力が上がって何がうれしいのかはあまり考えない。何の役に立つかは、別の人が考えることが多い。でも、そういうのが工学の分野で、ずっと問題になっていると思うんです。先端研究が、製品としてどうやって世に出るか、そこをつなぐ人がいない。メディアアートという分野に接するようになったのも、もう少し普通の人にわかりやすく見せたかったからというのがありましたね。

渡邊 ──例えば、Wiiにしても、同じようなコンセプトは10年以上も前から研究者が持っていたけれど、そのポテンシャルの落としどころを、うまく言えないまま今日に至ってしまったという感じがします。そういうやり方は、研究者側にも、企業側にもいいことはないと思います。新しい情報のプラットホームをつくったら、どういうポテンシャルがあるのか、日常ではどんな意味を持つのか、可能性を伝えるべきだと思う。
プロダクト、エンタテインメント、アートなど、いろいろな落としどころがあるとは思いますが、そうしたパスをつくることが重要だと思います。僕と安藤さんの関係だと、僕は安藤さんがつくったもののラベルを勝手にすり替えていく。言い方は悪いけど、そんなことをしているのかもしれません。
安藤さんの中では、ものができるまでが研究。僕は、逆に誰にどうやって見せるかが重要だと思っている。研究側の人が、他人にものを見せる時にどう見せなきゃいけないか。科学館に展示することと、美術館に展示すること、学会で発表することでは、全然違う。最近そういうことに対してあまりにも無頓着な人が多い。研究者が展示をするということは、少なくとも、その要素なりエッセンスをきちんと残したまま、解釈できる形で人前に出すということが必要なんだと思います。

人間と機械の失われつつある関係

渡邊 ──僕は、工学部の計数工学科という学科の出身なんですが、工学部で唯一、パンフレットに人間が写っていたから選びました。人間の感覚と機械の関係を考えようというところで、僕自身、新しい価値や意味を考えることに興味があったんです。計数工学科は不思議なところで、専門分野をもたない工学部。人のシステムだったり、金融のシステムだったり、いろんなシステムを考えるところです。鳩山首相もそうですけど、文系の人もいっぱい出ている。人間の感覚、ニューロン、回路、画像処理、金融工学など、いろいろなものをひとつのシステムとして見る。
システムをつくるってことは、結局ものをつくるときのインプットとアウトプットを決めることになるし、その機能を自分なりに定義付けすることにもなる。システムを見る上での数式には、とても美しいものが多いんです。回路記号だけ見てシステムが美しいとか、信号や波がこうなってすごく美しいとか思うんですよ。でも、システムの世界は手を動かすのとは違って、実際にものになった瞬間、なんじゃこりゃっ、てことも多いです。

安藤 ──実際、考えた通りにいかない場合が多いんですよ。数式通りにものをつくっても、結局微妙に合わない。経験に近いところでやるしかなくて、授業では全く教えてもらえないし、先生にもわからない。そういうのがたくさんある。それがあるから、今になっても僕がものをつくっていられるんじゃないかな。結局職人のやったことは残らない。ものは残るけど、どうやってつくったかのノウハウは、その人から弟子へとじゃないと伝えられない。本当に教えたいというところは、そういうところかもしれません。
機械の部品は、今や人間が手ではんだづけするようなものじゃなくなっています。小さすぎるんです。100年前は機械を手でつくることができて、昔の人は手で全部つくっていた。今は工作機械でつくるんですが、最後の擦り合わせみたいな部分は、実は機械にはできなくて、職人さんの手が少し残っている。でも、そこもどんどんロストテクノロジーになっていく。いずれ手ではんだづけするという時代ではなくなる。部品もなくなる。

乙幡 ──それによって失われるものは何でしょうか?

メディアラボ第5期展示「感覚回路採集図鑑」展示場にて。
みんなで見ている作品は、「ユラユラの回路 (Circuit of "Save YourSelf !!!")」。
三半規管に弱い電流を流すことにより、バランス感を操作する装置。

安藤 ──人間が携わる分野はどんどん細分化して、それらをいい加減な形でインテグレーション(統合)してものができあがっているのが今の状況なんです。それがどんどんひどくなって、一人で最初から最後までものをつくることができなくなるのが、一番の問題です。それは、もしかすると自然な流れなのかもしれないけれど、どう動くかわからないものが、急にできちゃう可能性が十分にある訳です。みんなで設計して組み合わせたものは、どうしても、一人が全てをつくったものの状態にまでは組み上がらない。一人でつくるときには、半分くらい無意識のうちにルーチン化された状態でやっている部分もあるのですが、そういうことができる人がどんどん減っているような気がします。
僕は、ものをつくっている最中に新しい何かを思いつくことがあるんです。だから、最初から設計されたものをつくるとか、つくらずに何もない状態から新しいものを考えるだけの状態になっちゃうと、本当にそこから新しいものが生まれるかどうか、僕にはわからないんです。

2006 (C) NATIONAL MUSEUM OF EMERGING SCIENCE AND INNOVATION