“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

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#12-2:小川眞士(理科教師)

2010年4月20日

「理科的思考力」はどこに生まれるか(後半)


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後半の話題は中学入試の理科。最近の入試問題に見られる変化は、ここ何十年かの社会の変化とシンクロしていると小川氏は言う。 覚えるだけでなく、どれだけ理科的に考えるかが大切、と語る小川氏が子どもたちに託す思いとは?  その言葉は、「理科」がとても大きなものを孕んだ大切な教科であることを実感させてくれる。 (撮影=邑口京一郎)

おがわ・まさし
東京都練馬区立中学校での理科教員を経て、四谷大塚進学教室で25年にわたり理科を担当。理科教務主任を務めたあと、2009年4月に小川理科研究所を開設。小学生を対象とした少人数の教室で教鞭をとっている

中学入試の理科、現状報告
佐倉

この春、下の娘が中学受験だったんですが、ちゃんとした勉強を習慣づけてやるという意味では、受験勉強は悪いことじゃないと思いました。

小川

絶対いいことですよ。ただ、何かの目標に向かってせっかく努力するなら、将来に続くような努力をするべきなんです。

佐倉

本当にそうですね。前に京都大学の学長が入試に関するインタビューで、「伸びきったゴムのような学生はいらない」なんて言っていたんです。気持ちはわかるけど、それは無責任ですよね。それなら「伸び切ったゴム」が入れないような入試をやるべきじゃないかと(笑)。最近、中学や高校の入試問題も自分で考えさせるような問題が増えてきているということなんですが、理科の問題はどうですか?

小川

これまで、この30年ほどの理科の中学入試問題を分析してきていますが、確かに変化していますね。昔は、いわゆる難問や量の多い問題が多かった。量をこなし、ブルドーザーのように問題を処理していく力が要求されていたんだと思います。

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佐倉

今は?

小川

問題は易しくなったけれども奥が深くなったといえるでしょうか。高度経済成長の末期、ある決まった品質ものを大量につくる時代から、新しいものを創造することが要求される時代になってきた。そのための思考力をもった人が必要とされているんだと思います。

佐倉

時代が変わってきて、学校のほうでもこれではまずいぞ、と。

小川

そうですね。それに子どもたちは一生懸命、ダーッと覚えてきますよね。そもそも中学校入試では覚えるべき量はそれほど多くないから、知識事項が中心の入試問題なら、全部覚えこめば点は取れる。でも入学したらどうも違う……という子が増えたという危機感もあるんじゃないかな。でも理科の学習とは、覚えて量を増やすことではなく、どれだけ理科的に考えたかが大切なんです。

佐倉

その部分を計れるような入試問題は出ているんですか?

小川

今年の栄光学園の問題なんて面白いですよ(注3)。お米の炊き方に関する設問なんですが、まずお米の重さと、水を加えて炊きあがったご飯の重さを計った数値の表を見せて、グラフを描かせる。その解答欄はなんと真っ白なんです。つまり、目盛りも何もなく、ゼロからグラフをつくらせる。

佐倉

縦軸・横軸から自分で決めさせるというのは、いいですね。

小川

それでグラフを読みとっていって、最終的にはビーカーで75グラムのお米を炊くには何グラムの水を入れたら一番おいしく炊けるかを考えさせるんです。

佐倉

こういうのは最近増えてきているんですか。

小川

はい、明らかにこの7、8年で増えています。桜前線を描かせたり、日本の火山の位置を地図上にプロットさせたりして気づくことを答えさせるものもありました。それから、蜘蛛の胴体だけの図を見せて「あしを描きなさい」とか。「蜘蛛はあしが8本」と数だけを覚えていても正解できません。

佐倉

自然のなかで本物をちゃんと見ていないと答えられない。

小川

科学史的な観点を入れた問題も最近いくつか出ています。天動説と地動説など、科学史の流れを文章で読ませて、たとえば天動説の間違っている点を答えさせる。そうすると、自分の頭で文脈を理解して考えるという、国語力のようなものが試せるんです。

佐倉

なるほど。そう考えると、理科的思考力と国語力って、普通は正反対に見えますがつながっている部分があるのかもしれませんね。さっきのグラフの話でいうと、読解力というのは文章中にでてくるいろんな要素のなかで、何と何が条件かを整理して理解することでもありますから。

小川

精読する力ですよね。それは絶対に必要です。文系、理系という区別の前に、日本語力がまずその根底にあるんだと思います。

注3  栄光学園(神奈川県の中高一貫私立男子校)の問題

「苦労して収穫したお米なので、炊くのに失敗するわけにはいきません。実際に炊く前に、いろいろと調べてみることにしました。」という文で始まる文章題。1合から4合まで半合きざみのお米の重さと、お米と水の重さ、炊き上がったご飯の重さを表で示し、それを見てグラフを描かせたり、そのグラフの特徴や、お米に吸収される水の重さについて考えられることを答えさせたりする

理科的思考力の先にあるもの
佐倉

この教室の子どもたちはみんな、理科を好きになりますか?

小川

手ごたえはありますよ。最近、子ども向けの理科実験教室が増えていますよね。あれは確かにいいんですが、傳治郎さんの影響かもしれないけれどショー的にやるのが多いんです。それはマジックショーの延長のようなもので、確かに面白いんだけど、僕が教えたいのはそういう面白さじゃない。「わかること」の面白さというのかな。

佐倉

重要なのはこっちをふり向いてくれた子に、どうやって「その先」を教えるかですよね。

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小川

そこが一番大切なんですよ。ふり向くだけで終わってしまうのではなく。

佐倉

生徒さんたちにはどういう大人に育ってほしいですか?

小川

一番思うのは、命を大切にする人です。この小さな地球で生命が誕生して、今これだけの生き物が生きている。自然というのはすごくうまくできていて、今生きている生物の背景には、これまで厳しい環境に耐えて生き残ってきただけの、ものすごい知恵があるんです。その見えない知恵をどれだけ見られるか。何かに出会ったとき、それに至る過程やそれまでの苦労を想像できるか……うまく言えませんが、それができる大人になってほしいという思いがあります。

佐倉

見えない過程を考えるというのは、理科的な思考ですよね。人間が肉眼や直観で分かる範囲というのは、実は世界のごく一部であるということを教えてくれるのが科学だと思うんです。小さな虫であっても、その生命が成り立つためには複雑なプロセスがあることを解き明かしていく。昔は「神様が一生懸命につくった」という解釈でよかったけれど、今その解釈に相当するものは科学ですよね。その精巧なプロセスがわかれば、生きものを大切にしたいという感覚が自然と出てくるんじゃないでしょうか。

小川

だから理科的な思考を追究すると、最終的に命というものに行きつくような気がするんです。

佐倉

なるほど。

小川

医学が不老長寿への願いから発達してきたように、科学は人間の欲望によって発達してきた。人間の欲望の最終的なものとは、生きることだと思うんです。それも、大切に生きること。自分を大切にすると同時に他人を大切にして生きること……。そういうことを理科のなかで学んでほしいと思います。

佐倉

前回対談した小説家の堀江敏幸さんが、科学を知ることによって身のまわりにあるささいなことが輝くように見えてくる、といったことを言われていました。今おっしゃったことはそれに通じるものがあるような気がします。

小川

生物を扱う授業のなかで、「生きるってどういうこと?」という質問をするんです。答えてほしいのは、呼吸をすることとか、栄養をとることなんですが、あるときこの質問をしたらひとりの子が手を挙げて、「はい、ステキなことです!」と(笑)。僕は小学生が明るい声でそう言ったことに感動しましたね。

佐倉

何とコメントされたのですか。

小川

「ああ、そうだよ。すごくステキなことだよ」と。

佐倉

今おっしゃった文脈でいうと、それは科学が明らかにしてくれる世界観の、ある種、本質的な部分ですよね。だけど世の中では今、「科学的に何かをすること」と「ステキなこと」とは、対立するものとして位置づけられているでしょう。

小川

あるいは科学の見方であれば何でも正しい、というような。でも理科的に考えるとは、そういうことではない。

佐倉

そうですね。小川さんが教えてらっしゃるのは、「生きるとはステキなこと」という答えが正解でもあるような理科なんだということがわかりました。

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