“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

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#11:吉松隆(音楽家)

2010年3月23日

「超ひも理論」はどんな音楽を奏でるか


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音楽や美術にかかわる“芸術的感性”を数値に置き換えることに、アレルギー反応を示す人は多い。しかし工学部出身の作曲家・吉松隆氏は、音楽も感情もデータとして解析し、客観的にCGなどで可視化することも不可能ではないはずだという。 科学と音楽の新しいリンクを考える吉松氏の壮大な夢とは? (撮影=邑口京一郎)

よしまつ・たかし
1953年生まれ。作曲家。慶應義塾大学工学部を中退後、独学で作曲を学ぶ。81年に「朱鷺によせる哀歌」でデビュー。オーケストラ作品を中心に、室内楽作品、ピアノ作品のほか、ギター作品、邦楽作品、舞台作品など数多くの作品を発表する。現代の日本を代表する作曲家のひとり

カレーとライスはわけられない?
佐倉

僕はクラシック音楽が大好きで、大学時代はオーケストラをやっていたんです。吉松さんのCDもたくさん持ってます(笑)。吉松さんは工学部のご出身ですし、作曲にもかなり初期からコンピュータを使われている。その発想のなかに、科学技術の視点と芸術的感性とが自然に同居しているように見受けられるんです。

吉松

世の中には両者が相反するもののように思っている人が多いですけどね。

佐倉

作曲家の西村朗さんとの対談(『クラシック大作曲家診断』)のなかで、「理工科系人間の視点から言わせてもらうと、音楽を十二音技法(注1)のように“12345・・・”という単純な等差数列で解析するのは、幼稚園の算数みたいなレベルだと思う」とおっしゃってましたね。楽音というのは自然倍音(注2)で構成されているから、その解析には少なくとも指数関数をくみ込んだ方程式が必要なんだ、と。

吉松

現代音楽というのは、オクターブの12の音を「数」みたいに扱うから、一見すごく数学的に見えるんです。でも、ただ“12345・・・”とナンバーを振っただけで、ドが1で、ソが8って言っても、その数字は音程の間隔を示す以外何の意味もなさない。だから、そこから先の解析も展開も何もできないんですよ。

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佐倉

ある種、無意味な変換をしているわけですね。

吉松

音楽では、振動比が2:1とか3:2とか4:3とか、美しい比率の時に協和音(注3)になるでしょう。耳で聞いて美しいものは、数式で見ても美しいんです。つまり音楽というのは、中心音のまわりに美しい比率を持った振動比の音が軌道をつくっている状態で、それって原子の構造に似ている。それなら原子物理学や量子力学を応用すれば、音楽そのものを解析したり、和音の変化を視覚化したりできるオシロスコープのようなものが可能なんじゃないかと思って、20年以上前に音楽誌に「音量子仮説」というのを発表したんですけど、反応ゼロで(笑)。

佐倉

音響工学や物理学の人からも?

吉松

それこそ東大の音響工学の研究室にも行ったんですよ。素人考えながら、音をフーリエ変換できるなら、音楽だって音符単位の解析ができると思ったんです。例えばオーケストラの演奏をコンピュータで解析してそのままスコアに変換するというような。でも、残念ながらそれは不可能だっていうんですよ。

佐倉

あまりにも難しすぎて……。

吉松

50年代には、どんな音でも分解していけば単音に還元できるといわれていた。NHKの電子音楽スタジオも、要するにシンセサイザー的に合成すればどんなオーケストラの音でも複製できるはずだ、という考えで始まったんです。でも、それは発想としては正しいんだけど、現実的には不可能なんですね。例えば囲碁でも、白と黒の二種類の石を並べるだけだからその組み合わせは有限のはずなんですが、その数は宇宙中の原子の数より多い。同じように音楽も、ドレミファの組み合わせだけだから有限ではあるはずなんだけど、限りなく無限に近いレベルらしいです。。

佐倉

言葉もそうですよね。言葉も文字も有限だけど、その組み合わせでてできる文は、ほとんど無限にある。

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吉松

オーケストラが音を鳴らしたとき、ちょっと耳のいい人なら、その中でフルートやオーボエが何の音を出しているか、わかりますよね。だからコンピュータなら簡単にわかるだろうと思ってたんです。ところが、実際には、ひとつの音なら分析できても、「ドミ」ってふたつ鳴らされると、もうできない。できあがったカレーライスを、カレーとライスに分離できないのと同じで(笑)。確かに、カレーライスを科学的に分析して、酸素が何パーセント、窒素が何パーセント……って数値化することはできますけど、その配分通りに元素を合成しても、カレーライスにはならない。同じように、チャイコフスキーの音楽の周波数成分を数値化しても、ノイズと区別すらできない。でも、それは解析できないということとイコールではない。問題は「料理法」という視点なんですよ。

佐倉

そうそう、プログラムの部分が大事ってことですよね。「科学的」とか「数字で」というと、えてして、できあがったものを分解していくみたいに思われがちですが、プログラム──吉松さんのおっしゃる「料理法」──の科学っていうのが、すごく重要になってきていると思います。とくに最近の生命科学や情報科学は、そこのところはきちんと認識しているし、重要性もとりいれはじめているんじゃないかな。

注1:十二音技法

1オクターブを構成する12の音それぞれに、すべて同じ重みや役割を与えて作曲する技法


注2:自然倍音

基音の振動数の、整数倍の振動数を持つ音のこと。例えば基音が100Hzだとすると、200Hz、300Hzなど、整数倍になる音


注3:協和音

和音を響きの安定度で分類する際の用語。協和音は不協和音に対して一般的に、きれいな和音と説明される。詳細の定義は複数の説があり、たとえば「和音を構成する音の周波数の比が簡単な整数比(またはその近似値)であれば協和音である」というのはそのひとつ

音楽を数値化するという発想
吉松

音楽は「感性」の芸術ではあるんですけど、やっぱり「理系」の思考も不可欠だと思うんです。例えば、ある音楽を聴いて胸がキュンとする、ということがありますよね。僕はそれを、ただ「せつないと感じました」という感覚的なもので終わりにせず、何らかの数値を与えてその音楽をグラフ化し、音楽から生じる感情的なものとリンクして見られるモデルをつくることは可能だと思っているんです。ただ「きれい」とか「感動した」というだけでそこから先、何の解析もしないんじゃ、全然前に進まないですしね。

佐倉

主観とか好みというのは、客観性を旨とする科学では一番扱いにくい部分ですよね。ただ、音楽についての論評って、「ハ長調だから明るい」とか(笑)、あまりにも印象論的な説明が多くて、科学をやっている側からすると確かに違和感というか不満があります。

吉松

楽曲というのは音の組み合わせでできているんですが、その連結方法には規則があります。ハ長調ならファの音がソの音にいくよりも、シがドにいくほうが“開放感”が高い、とか。これは「機能和声」という理論になっているんですけど、そこからさらに進んで、すべての音の移行に伴う感情の変化を数値化したり、方程式化したりできないかということなんです。音と感情の変化をシンクロさせたスペクトル分析が時間単位で変化していく。その変化の度合いをオシロスコープやCGでつくれば、このカタチはチャイコフスキーだ、こっちはモーツアルトだって、瞬時にわかる。そういうモデルが膨大にでてくれば、音楽が別の方法で解析可能になります。僕はそれを夢見てるんですよ。

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佐倉

でも音楽関係の人たちは、音楽を数値化するという発想にはアレルギーが……。

吉松

あるんですよね。この手の話をもちかけるとすぐに、「音楽は科学でなんか解析不可能」と拒否する人が多い。でも数値化するというのは、客観的な視点を得られるってことでしょう。

佐倉

そうですね。ある現象を理解するための便法として数値で表現するわけで、数値化できない部分を切ってしまうわけでは決してない。でも、一度数値化してしまうと、数字がひとり歩きすることはよくありますよね。数値化したことで、豊穣なものをすごく貧相にしかとらえられなくなったという悲劇は、芸術に限らず社会科学でもしょっちゅうくり返しているから、拒否感を感じるのかもしれない。本当は、その豊穣さを丸ごと理解することと、分析的に理解することとは矛盾することではなくて、その使いわけこそが必要なんだと思いますが。

音楽そのものが人間のカタチ
吉松

僕は「音楽を知る」ことは「人間を知る」ことにつながると思っているんです。例えば、人間がつくったある音楽が宇宙に送信されるとするでしょ。それを聴いた宇宙人が、この音楽をつくったのはどういう奴らかを、どのくらい知ることができるか。

佐倉

音楽自体にどれくらい人間の情報が入っているかということですね。

吉松

例えばその曲がベートーベンの第九交響曲だとします。するとまず歌っている声の質の違いで男と女、つまり雌雄があることがわかる。それに、声の音域によって、その波長からだいたいの体長がわかる。それから楽器の材質によって、植物や木を加工し金属を精錬する技術があると。そして録音の方法から、電気系統が扱える文明があることがわかりますよね。

佐倉

なるほど。

吉松

さらにリズムが4拍子や2拍子で、速くなったり遅くなったりすることから、心臓の鼓動が2ビートで動いている、2足歩行で手が2本の温血系哺乳類だということもわかる。音楽ひとつで、その生物のカタチから文明までかなり把握できるんですよ。それはつまり、今、人間が聴いている音楽そのものが“人間のカタチ”をしてるってことなんです。

佐倉

面白いですねえ。

吉松

そうやって考えると、人間の音楽を研究することは、そのまま人間そのものの研究になるわけです。今は「人間とは何か」というとすぐDNAの話になりつつあるけれど、音楽からもそれに答えを与えられるんじゃないかと思います。

数値の羅列を虹に変えるプログラム
佐倉

さっき音楽の数値化という話がありましたが、音楽による表現と科学的な表現の関係については何かお考えがありますか?

吉松

以前に人間のDNAが解読されたときにやってみたんですが、遺伝子はAとT、CとGという4つの塩基の組み合わせですよね。例えばAをラに、Cをドに対応させるというふうに、AT、CGで2音の和音にすると、音楽になるんですよ。これを使って人間のゲノムの音楽と称したものをつくったことがあります。遊びですけど。

佐倉

でもDNAの並びを音にするというのは、単にある記号を別の記号に置き換えるだけの作業だから、そこには創造性とか芸術性といったものは入ってこないんじゃないですか。

吉松

ただ、ドレミファだって虹だって、その周波数や波長の数値で表したなら、ただの数字の羅列ですよね。でも、音や絵にするとそこに音楽や七色の虹が立ち現れる。僕が期待しているのは、そういうプログラミング方法の発見なんです。DNAの話もATCGだけでなく、アミノ酸の並びがこっちの方向で組み合わされると生命になるとか、たぶん何らかのルールがありますよね。それを音楽と結びつけて視覚化し、それを見ると生命の“カタチ”がわかるとか……。

佐倉

ああ、そういうことができるといいですね。でも今のところアミノ酸と生命の間にはすごいギャップがあって、そこまではわかっていないんです。

吉松

ものごとを科学的に解析するとき、まず数式やグラフにするでしょう。そのかわりに「音楽にする」という選択肢があれば楽しいですよね。新しい物理の理論、例えば「超ひも理論」のようにふつうの人には理解できないようなものがでたときに、それをプログラムで音楽にはめこんで聴いてみる。すると、「超ひも理論ってこういう音なんだ!」とわかる。それがまったく新しい発想のきっかけになるかもしれない。今は残念ながら、「音楽にする」というと完全に感性に頼ってるでしょ。でも音楽って意外と、言語以上の普遍性も秘めていると思うんです。もっと科学と音楽が具体的にリンクする方法があれば、音楽もグラフや数式にかわる人間の言語になるような気がするんですよね。

佐倉

それを実現するにはいろんな分野の専門家が必要ですね。芸術家のほかに、科学者、心理学者、認知科学者、それに詩人、哲学者……。協同プロジェクトで開発する必要があるのかな。これこそ日本科学未来館の仕事になるんじゃないでしょうか(笑)。

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