“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

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#09-1:浦沢直樹(漫画家)

2009年11月10日

アトムの先に訪れる未来を夢見て(前半)

2.jpg 緻密なストーリーと深い人物造形。漫画界をリードする浦沢直樹の作品には、一方で1960年生まれの自身と、科学との距離感が濃密に刻印されている。社会の変化、そのなかでの自分の立ち位置、そして次なる科学の胎動。 驚くほどの冷静さで時代を見透かす天才クリエイターの内部に迫る。 (文=内田麻理香、撮影=邑口京一郎)

うらさわ・なおき
1960年生まれ。1983年のデビュー以降、『YAWARA!』『MONSTER』『20世紀少年』『PLUTO』など、次々に傑作を生み出してきた。手塚治虫文化賞マンガ大賞、小学館漫画賞、講談社漫画賞、アングレーム国際漫画祭 最優秀長編賞など、国内外で受賞多数。コミックの売り上げ総数は累計一億部を突破。名実ともに現代日本の漫画界を代表する存在。現在、週刊モーニング誌上で『BILLY BAT』を連載中

今の科学には“馬鹿げた夢”が抜けている 
佐倉

浦沢さんの作品には、“科学技術ネタ”がよく出てきますよね。『PLUTO』はもちろん、『20世紀少年』、少し前の『パイナップルARMY』など、ロボットや兵器などの問題が物語の要素として自然にくみこまれているように感じます。今日は浦沢さんがどんなふうに今の科学技術を捉えてらっしゃるのかというあたりからうかがわせてください。

浦沢

僕にとっては「科学」という言葉自体が、ノスタルジーなんですよ。「SF」というのも50年代や60年代のにおいがしますが、科学ってその時代の言葉じゃないかという気がして。なんだかセピア色なんです。

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佐倉

そう感じられるようになったのは、何かきっかけがあるんでしょうか?

浦沢

1970年の大阪の万国博覧会かもしれません。この万博までの科学が“僕にとっての科学”で、それ以降は別のものになっちゃった感じがします。

佐倉

以前に「1970年までが昔で、1970年からが今だ」とおっしゃってましたね。

浦沢

70年代までは、文系の人たちの夢が時代をリードしていた気がするんです。で、その夢を科学技術の専門家が実現してくれた。でも、今の科学技術は文系の人には全然わからないものになってますよね。最近の車なんて、買うと「ボンネット開けなくていいですから」と言われる(笑)。

佐倉

科学者以外は触れないような、立ち入り禁止のような感じ……。

浦沢

そう、もう専門家だけの分野になっちゃった。例えばロボットでいうと、工業用のマジックハンドみたいなものなら、まだついていける。でも、ミクロの単位まで操る精密なアームみたいなもの……あれは本当に「ロボット」なのか? と。確かにすごいことはわかるんですよ。でも万博のころに抱いていた夢のような、あの無骨な空想科学はどこいっちゃったんだろうって。

佐倉

今、目の前にある科学技術には興味をもてないってことですか。

浦沢

うーん、感心はするんですが、一方でそこに茶々を入れてしまう。「これ、なんなんだ?」って。

佐倉

リアリティがない?

浦沢

いえ、逆にリアルすぎるんです。馬鹿げた夢みたいな要素が抜けてしまっている。

佐倉

確かに携帯電話なんかそうかもしれないですね。昔は「スーパージェッター」(注1)の腕時計型みたいなかっこいいものを想像していたけど、今使っているものはそうじゃない方向に進んじゃってる。

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浦沢

「テレビ電話」がいい例なんです。昔は電話で相手の顔が見えるっていうのが憧れだったけど、技術が進歩して現実のものになると、意外とみんな使わない(笑)。実は、僕が描いた『PLUTO』では、電話のシーンがあれば相手の画像が出るようにしているんですけどね。

佐倉

あ、あれは確信犯だったんですか! 確かに昔は、“テレビ電話が目の前にあるのが未来だ”っていうイメージでしたよね。

浦沢

それなのに今みんなが使っているのは、むしろ電子メールでしょ。僕らからすると、単に「電報」の延長にしか見えなくて。「あれ、そこがニーズだったのか?」と(笑)。

佐倉

映像じゃなくてただの文字ではないかと(笑)。夢破れたって感じですか。

浦沢

納得いかないですねえ。そこに落ち着いちゃうのかと思うと。

注1:『未来からきた少年 スーパージェッター』。1965年のSFアニメ

アトムに込めた夢と希望のせつなさ
佐倉

あるインタビューで浦沢さんが『PLUTO』について、「今、アトムが空を飛んでいるシーンを描くとせつなくなる」といったことをおっしゃっていましたが、それもやはり、かつて夢見た未来と現実とのギャップということですか?

浦沢

アトムを描きながらシンプルに思ったのは、「この子、そもそも飛ぶ必要があるんだろうか?」ということなんです。単に僕らの夢と希望をのせて飛んでるだけなんじゃないかと思うと、すごくせつなくなります。

佐倉

ああ、なるほど。手塚治虫さんの描いたアトムは、ロボット技術とか原発とか、科学技術全体のシンボルとしてもよく使われていて、それが何でだろう? と不思議に思っていたんですが、今の浦沢さんのお話をうかがって、ちょっと納得できました。きっと、アトムに「夢と希望の科学技術」が凝縮されているからなんでしょうね。

浦沢

『鉄腕アトム』は1950年代につくられたものですが、21世紀を迎えた今、あそこまで人間に似たものは必要なのかと思うんです。今、一生懸命に二足歩行のロボットをつくっている人たちは、アトムにのせた夢と希望を実現させるために努力している感じがします。もちろん、そのなかで培われた技術や理論が有益なのはわかります。でもアトムのようなロボットが本当は不要かもしれないと思うと、得体の知れないさびしさを感じますねえ。

佐倉

以前、あるメーカーから、「二足歩行のロボットを社会でどう活かすか」というテーマで講演の依頼があったんです。そのメーカーの研究所で一生懸命に二足歩行ロボットを完成させた。でも何に使えばいいかわからないので、アイディアをくださいと。「え、僕が考えるんですか? 」って(笑)。

浦沢

つくること自体が目標になっちゃったんですね。

佐倉

アポロ計画もそうですよね。とにかく「月に行く」という夢を実現するための科学技術で……。浦沢さんの作品にはアポロ11号の月着陸(1969年)が何度か登場しますが、我々の世代にとって、確かにあれは印象的な出来事でしたよね。

浦沢

9歳のときに人類が宇宙に行ってるんですよ。それは夢ふくらみましたね。なのに、そこから頭打ちだった(笑)。もちろん、目に見えないところではものすごく進歩しているんでしょうが、自分の体感できる現象としては、あれで頭打ちというのがショックでした。

佐倉

そうなんですよね。新幹線も、できたときはものすごいインパクトがあったけど、それ以後の進歩というと東京—大阪間が3時間だったのが今は2時間半になったという形でしか実感できない。実際には、制御技術とか素材とか、ものすごく精密度が上がっているはずなんだけど、それがなかなか実感できないんですよね。ゼロから立ち上がるときは、すごさが分かりやすいんですが。

浦沢

その「ゼロからの実現」という感覚はやはり大きくて、僕らの世代は「21世紀になったら月に行く定期便ができるかもしれない。そのころは40歳。こりゃすごいことになっているんだろうな」というイメージがあった。それがだんだん、だんだん、ね。1990年あたりから「こりゃだめだ」って(笑)。

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僕らの世代の怨念を引きずってはいけない
浦沢

ジャイアント馬場さんがコブラツイストの構えをしたところに、対戦レスラーがあとから入っていくのを見たことがあるんですが(笑)、あんな様子が今の科学技術にも感じられるんです。二足歩行ロボットをつくったり、やたらと高層ビルを建てたり……。つまりそれは「手塚先生の世界を実現させなくちゃ」と、レトロフューチャーを追いかけている気がするんです。そうしないと手塚先生に申し訳ない、と。

佐倉

『20世紀少年』にはまさにそのレトロフューチャーが描かれていますよね。ぼくも浦沢さんと同じ世代なのであの感覚はすごく良くわかります。でも一方で、環境問題とか医療とか安全とか、もろもろ、この先の科学技術を考えるべき時期なんだと思います。

浦沢

まず、そのレトロフューチャーを終焉させないとダメですね。例えば、高層ビルって本当にいるの? と。ビルじゃなくて緑を増やすべきじゃないの? とか。今はまだ僕ら世代の“怨念”みたいなのがレトロフューチャーを実現させようと邁進していますが、そういうのはそろそろ捨てるべきだと感じます。

佐倉

捨てた後の、次の足場にというか拠り所になるものは何だとお思いですか? 今、大学でも工学部などは人気がなくなってきています。科学技術について、浦沢さんのおっしゃるような展望を持つ若い世代が減ってきているような気がするんですが。

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浦沢

今はまだ、僕らみたいな前世代の因襲が残っているんですよ。例えば今、土台にコンピュータの技術がある。僕らの時代とは土台が変わったのだから、それをもとに物事を考え直さなきゃいけないんだと思います。白い紙を目の前に「さあ何をやろう」って考えていたのが少し前ですが、今は1テラのハードディスクを前に「さあどうしよう」っていう時代でしょ。要するに、僕らはもう古いんですよ。僕らの発想では思いもよらなかった、「そんなのアリか?」という人——ビートルズみたいなのが、これから出てくるんじゃないかな。ギターでも、ジミ・ヘンドリックスは「何それ?」っていう弾き方で登場した。ギターはあんなふうに使うものじゃなかった、というようなね。

佐倉

まったく違う発想、角度、視点で考える人が必要、と。

浦沢

僕らがロックミュージックをやったとき、親世代が「そんな音楽のどこがいいんだ?」という反応だったように、理解し合えないことが起きたところから、新しい時代に転がっていく。そう考えると次の時代は、僕らが「それ、嫌いだ!」というものから出てくるのかもしれない。そしたらもう僕らはお手上げで、「はい、バトンタッチ」となるんじゃないかな。

佐倉

今はちょうど過渡期なんでしょうね。

浦沢

とにかくすべての考え方をいったんチャラにしなきゃ。僕ら世代の怨念を引きずっていたらいけない!

佐倉

厳しいですねえ、大学で教える者としては「何も教えるな」と言われているみたいで(笑)。

浦沢

でもね、これまでどれだけの夢想家がどれほどの夢を抱いてやってきたかという、そのロマンティシズムをしっかり伝える必要はあると思います。それがあったからこそ、ここまで来ることができた。そのうえで、今は僕たちの立ち位置を変えていかなきゃいけないということです。

佐倉

そうですね。今のコンピュータだってレオナルド・ダ・ヴィンチの時代からの積み重ねがあって成り立っているんですから、これまでの歴史を単にリセットするのではなくて、伝えるべきところは伝えていくことも必要ですよね。チャラにするところと残すところと、その仕分けが大事なんだろうな。

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2006 (C) NATIONAL MUSEUM OF EMERGING SCIENCE AND INNOVATION