“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

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#07-2:元村有希子(新聞記者)

2009年2月 3日

イギリス人と”サイエンス・マインド”は、なぜ相性がいいのか?(後半)

2.jpg 研究者の紹介にとどまらず、理系事情をからめて伝えようとした新聞連載「理系白書」。独自の発想で始めたこの企画をつづけながら、元村記者は、「わからない」ことを前提とする科学の魅力にひかれていく。わかったことだけを教える理科教育に疑問を感じながら。そして視線はイギリスへ。 (撮影=邑口京一郎)

もとむら・ゆきこ
1966年生まれ。九州大学教育学部卒。1989年毎日新聞社入社。社会部などを経て2001年より科学環境部に所属し、日本の科学技術のあり方を理系人の現状を描きながら検証する連載「理系白書」を立ち上げる(のちに講談社より書籍化)。06年5月第1回科学ジャーナリスト大賞を受賞。著書に『理系思考』など。

疑い深くて、議論好き
佐倉

さて、イギリスの話を聞かせてください。昨年休職して、ロンドンに留学されていたんですよね。

元村

はい。2007年9月から08年8月までの1年間、ロンドンの大学院で科学コミュニケーションを学びました。というよりも、イギリスを中心にヨーロッパで科学と社会がどのように関わっているのか、いろんな現場を見てきたんです。そういう現場のひとつに、イギリスのあちこちで開かれる科学フェスティバルがあります。

佐倉

街ぐるみで開催するんですよね。エディンバラなんかは科学フェスティバルを街おこしに使っているくらい。

元村

ええ。実験ショーや講演会などいろんなプログラムがあって、子供を対象にしているものが多いんですが、面白いのはチェルトナムという街の科学フェスティバル(注4)。ここは大人向きなんですよ。とくに科学に興味がなくても、音楽祭や文学祭と同じように大人が楽しめるように工夫されていて。科学が大人にとって、教養と娯楽の対象なんですよね。このへんの感覚は日本とかなり違う。

佐倉

この連載対談の第1回のゲストが脳科学者の茂木健一郎さんだったんですが(注5)、彼がこんな話をしてたんです。法律の世界でいう「リーガル・マインド」と同様、科学にも「サイエンス・マインド」があると。それは、科学する心とか科学的なセンスといった意味なんですが、茂木さんもイギリス留学経験があって、向こうはこのサイエンス・マインドが日本よりずっと広まっているようだというんです。それはお感じになりましたか?

元村

すごく感じました。うらやましいと思いましたよ。

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佐倉

それは何の違いなんでしょうね。高校生の学力を見ると、平均ではたぶん日本のほうが高いんじゃないでしょうか。そんなことも知らないの? っていうイギリスの高校生、いっぱいいますよね。

元村

ええ。分数ができないどころの騒ぎじゃなくて。

佐倉

にもかかわらず、さっきの話でいうと、「七段目を跳ぶ」感覚が社会に根づいているというか……。

元村

たとえば本屋さんに行くでしょう。日本では理工系の本の売り場って、大きな本屋さんだと3階とか4階ですよね。あまり人が行かないような上の階。しかも時にはエスカレーターが切れてたりして(笑)。

佐倉

屋根裏部屋みたいな感じで(笑)。

元村

だけどイギリスでは、1階の政治やアートなどのコーナーと同じところに、ポピュラーサイエンス——一般向きの科学書のコーナーがあるんです。そこにドーキンスやダーウィンが並んでる。

佐倉

装丁もかっこいいんですよね。

元村

そう。卑近な例ですが、こういう身近なところで科学と一般の人との距離の違いを感じます。それからもうひとつ、要因として私がにらんでいるのは、イギリス人の国民性。とにかく疑い深くて議論好きなんです。だから、お上やマスコミが言ったことをまず斜めから見る。BBCはこう言っているけど、私はこう思う、なんて。で、この「疑うこと」と「議論すること」って、科学の基本姿勢の二つですよね。彼ら自身は意識していないけれど、私から見ると、そもそも国民性のなかに科学になじむ行動パターンが含まれているんじゃないかと。これは仮説です。

佐倉

うんうん。

元村

実際、世論調査で「過去12ヵ月間にどこへ出かけましたか」と聞くと、例えば、スポーツ観戦が27パーセント、ガーデンが32パーセントとあって、科学館というのも18パーセントあるんです。

佐倉

えっ!?

元村

東京には未来館や上野の科学博物館があっても、行ったことがない人が大勢いるというのに。

佐倉

そもそもその調査の選択肢に「科学館」が設定されているところからして信じられないなあ。

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元村

それから「関心のある話題」だと、政治や経済と同等の割合で、環境や健康など科学的なセンスが必要なものが入ってきます。さっき平均的な学力でいうとイギリスのほうが低いという話がありましたが、それと考え合わせると、彼らは科学について”わからないながらも、とりあえずつきあう”という態度をもっている。それは確実にいえると思います。

佐倉

逆にいうと、そういう国民性があるから科学のようなものが生まれ、ニュートンやダーウィンがイギリスに登場したのかな。これも仮説ですけど、パブやカフェでみんながわいわい議論するような文化のなかで、科学が育まれてきたのかもしれないですね。

注4:チェルトナムの科学フェスティバル

チェルトナム(Cheltenham)は英国コッツウォルズ地方の端に位置する人口約9万の街。2001年より科学フェスティバルが開かれており、脳科学やロボットとの暮らしなど、大人の知的好奇心をターゲットにしたテーマで、講演やワークショップが行われる


注5:茂木健一郎氏をゲストに迎えた連載第一回

科学は日本で、どれくらい“文化” なのか?(1)

科学は日本で、どれくらい“文化” なのか?(2)

科学は日本で、どれくらい“文化” なのか?(3)


「科学が嫌い」と言えること
元村

それからこれも後づけの仮説だけど、日本には和算やからくり人形のように、科学的なセンスを必要とする文化が江戸時代にはありましたよね。

佐倉

ええ。もともと好きだったんですよね。

元村

でもそれとは別に、明治維新の後に近代科学を輸入した。そのときに科学を”舶来のもの”として、何か頭上に押しいただくような受けとり方をした。それが定着しちゃったんじゃないかとにらんでいて。

佐倉

なるほどね。

元村

そうして科学技術は特別なもの、一部の人に任せておけばいいもの、逆にいうと、わからない人は触ったり語ったりする資格はないもの、とどこかで線を引いてしまってるんじゃないかと思うんです。実際、初めて会った人に「私は科学ジャーナリストです」と言うと、絶対に「難しそうなお仕事ですねえ」と言われます。でも誰にだって科学に接することはできるんですよ。専門的なことを知らなくても温暖化問題は語れるし、にせ科学を議論できるし、研究の不正に怒っていい。でもそれをしたがらないですよね、日本人は。

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佐倉

そうですね。そもそも”語るべきもの”と思っていないというか。

元村

私はよく”神棚に上げちゃう”というたとえを使うんですが、何やら不可侵なものだと思ってる。一方イギリス人は、例えばビールはハーフパイントから飲むか1パイントからかというぐらいの気軽さで科学の話をもちだす。なかには明らかに間違ったことをいう人もいるんですよ。でも、科学が気軽にパブでの話題に出てくるというのは、ちょっとうらやましいでしょう。

佐倉

本来、科学の問題って神棚の上じゃなくて、身近にあるものなんですよね。医療や食品の安全性の問題、最近ならインフルエンザの新型のワクチンが効くか効かないかという話……全部、科学につながっている。

元村

そうなんですよ。だけど、科学って聞くと途端に「わあ、難しそう!」と。なんで科学だけみんな最初から拒否するんでしょう。

佐倉

ちょっと科学をもちだすと、「いやあ、私は文系ですから、ご勘弁ください」と(笑)。

元村

あとずさりしていく(笑)。でも一方で、みんなが科学を好きになるのがいいかというと、それもちょっと違うと思うんです。逆説的ですが、「私は科学が嫌い」と言えるようになることも必要なんじゃないかと。たとえば、私はヘビメタは嫌いだけどクラシックは好きとか、サッカーは嫌いだけど野球は好きとか、みんないろんな分野について好き嫌いを表明するでしょう。「嫌い」というのは食わず嫌いじゃなくて、何らかの理由がある「嫌い」。そういう普通の好き嫌いを今、科学についてはほとんど誰も言わない。

佐倉

確かにそうですね。

元村

だから、科学の話でちょっと難しい説明をされると、もうどんな内容でも無批判に受け入れてしまう。科学の研究に莫大なお金が使われていても、文句を言わない。政治や経済や年金なら、みんなめちゃくちゃに突っ込みを入れるのに、科学はお好きにどうぞと。

佐倉

つまり、自分たちのものになっていないということなんですよね。

元村

そうなんです。自分が何らかのかかわりをもった結果として初めて、好き嫌いが言えるものですから。

佐倉

この連載対談は、今の日本で科学がどれぐらい”文化”になっているかを探るというものなんですが、そういう意味では日本はまだまだですね。僕は「科学が嫌い」と言えるとともに、科学を日々の生活のための道具のひとつとして使えるようになればいいんじゃないかと思います。たとえば、病気のことや食料の安全のこと、気候のことなど、日常的なことを考えたり、問題を解決したりする際に、実は科学的な知識や考え方がすごく役に立つわけです。

元村

そうですよね。

佐倉

だから、音楽が聞きたくなったから聞きに行く、というふうに、「ここはやっぱり科学的に考えなきゃいけないから科学を使おう」という具合に、誰もがごく普通に科学を道具として使いこなせるようになれば、科学が文化として定着したといえるんじゃないかと思います。

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