“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

« #06-2:黒田龍之助(語学教師)  | メイン | #07-2:元村有希子(新聞記者) »

#07-1:元村有希子(新聞記者)

2009年1月26日

イギリス人と”サイエンス・マインド”は、なぜ相性がいいのか?(前半)

2.jpg 社会部などで活躍してきた文系出身記者が、突然出会った科学の仕事。 異なる世界から飛びこんだ元村氏をそこで魅了したものとは……。 35歳で開眼したという科学の面白さ、そして留学したイギリスで感じた科学と国民性の相性。科学ジャーナリズム界のエース記者が率直に語る、科学と社会、日本とイギリス。 (撮影=邑口京一郎)

もとむら・ゆきこ
1966年生まれ。九州大学教育学部卒。1989年毎日新聞社入社。社会部などを経て2001年より科学環境部に所属し、日本の科学技術のあり方を理系人の現状を描きながら検証する連載「理系白書」を立ち上げる(のちに講談社より書籍化)。06年5月第1回科学ジャーナリスト大賞を受賞。著書に『理系思考』など。

「わからなくていい」を知った幸せ
佐倉

元村さんは大学では文系で、教育学部のご出身なんですよね。

元村

ええ、臨床心理学を専攻しました。でも高校時代は医者になりたいという気持ちもあって、3年生まで理系コースにいたんですよ。

佐倉

科学はお好きだったんですか?

元村

いえいえ、嫌いでした。高校1年の物理のテストが23点しかとれなくて(笑)。それ以来、「私は理系に向いていない」という気持ちが固定されてしまった。それで結局、大学の願書を書く段階で医学部を教育学部に変えたんです。

佐倉

文系に転んだわけだ。それで卒業後、新聞社に入られて、科学関係の仕事というのは初めから意識されていたんですか?

元村

全然。地方支局や社会部に配属されて、私はこのまま社会を描く記者としてやっていくんだと思っていたら、35歳で突然、科学環境部に異動になった。

佐倉

それは希望ではなかったんですね。

元村

第3希望(笑)。第1希望は生活家庭部でした。新聞の「家庭欄」って、すべての要素が入っているでしょう。政治も経済も、科学も環境も。そういうのを幅広くやりたいなと。第2希望は地方支局だったんですが、それも実現せず……。

佐倉

第3希望というのは、気持ちとしてはちょっと微妙ですよね。

元村

なにより心配になりましたね。18歳のときに理系にふられたトラウマがあるので、私に務まるのだろうかと。

1_m.jpg
佐倉

うんうん。で、やってみたら……。

元村

面白かった。35歳にして「科学って、こんなに面白いのか」と思ったんです。

佐倉

何が面白かったですか。

元村

高校や受験では、テストができなければそれで終わりですよね。つまり「わからない」ことが許されない。でも、科学記者にはテストはないし、わからないことは専門家に聞けばいい。しかも超一流の専門家に会える。さらに、わからないことを素直に言うと、ほめてもらえるんです。「私もわからないんです、そこが!」なんて。

佐倉

なるほど。

元村

そうか、わからなくていいんだというシンプルなことに、すごく勇気づけられました。もっと言うと、科学の世界はわからないことがあるから成り立っているということに気がついたんです。同時に、私が高校までやっていた、あの理科というのは何だったのかと。

佐倉

それが科学と理科の違いですよね。理科は与えられたことを学ぶのに対して、科学はわからないことから出発する。わからないから調べて、それによってわかることもあるけれど、またさらにその先にわからないことが出てくる……研究はそうやって進んでいくものだと思います。逆にいうと、学校でやる理科にも「わからなくていい」という部分を残したほうがいい。

元村

そう思います。教科書ではもちろん、わかっていることを教える。でもこの先にわからないことの大きな海が広がっていることを伝えてほしい。

佐倉

でないと、中学高校のテストができなかったがために嫌いになって、そのまま一生涯、という人もいますよね。元村さんは35歳にして科学に復帰できたからよかったけれど。

元村

そう、幸せだったんです、私(笑)。

「理系白書」はこうして始まった
元村

それからもうひとつ、単純ですが、取材で出会う科学者の目の輝きに魅せられたんです。私のような素人に向かって、目をキラキラさせながら、研究がいかに面白いかを語ってくれる。なんて素敵なんだと思った。それとともに、ああ、私は35歳までこの人たちと知り合わなかったんだなあと。それはものすごい後悔でした。そして、私が知らなかったということは、世の中の半分以上の人は知らないはずだから、彼らのことを伝える使命が私にはあると思ったんです。そこから、燃えました。

佐倉

それでノーベル賞の取材をされたのがひとつの転機だったとか。

元村

ええ。ノーベル賞は10月の第2週ぐらいに発表なんですが、私たちの仕事は8月の終わりから始まります。受賞する可能性のある人たちを50人以上リストアップして、生い立ちや研究内容など、あらゆることを調べておく。そうして準備した原稿をまとめたファイルがあるんです。その年(2001年)は、私がこれまでのファイルをチェックして書き加えたり、補足取材をしたり、新しい候補者がいれば取材に行くという一連の仕事を担当しました。

佐倉

野依良治さん(注1)が受賞された年ですよね。

元村

そう。それはそれでよかったんですが、一方で、野依さん以外の人たちの取材原稿は、ひょっとしたらその人が受賞するまで一生、日の目を見ないわけですよね。もったいない、と思ったんです。それでこういう人たちを紙面で紹介する連載をやりたい、と手を挙げた。同時に、日本の科学研究はハイレベルなのに、それに携わっている人はあまりハッピーではないという話——大学で博士号を取っても就職できないとか、理系は文系の人よりも生涯賃金が低いとかいう話を聞くにおよび、何じゃこりゃと。

佐倉

科学者のキラキラした目と、彼らの仕事が報われていない現実とのギャップ……。

元村

そうなんです。それで、研究に携わる人を紹介するだけでなく、そこに理系世界の実情を横糸にからめて連載をやろうということになりました。そうして仲間を集めて始めたのが、2002年1月から毎日新聞紙上で始まった「理系白書」(注2)です。それまでの科学報道は、「こんなことが発見されました」という成果を伝えることが主で、科学者の人生を描くようなものって、あまりなかったんです。あるいは成功した人の人生は書かれるけれども、そのほかの人たちのつぶやきはとりあげられない。

佐倉

確かにそうですね。

元村

科学者という存在を、失敗も成功も含めて、人間として描きたいという気持ちが根底にありました。

佐倉

そういう感覚は、外から科学の世界に入られたからこそ、という気がしますね。

1_m.jpg
元村

ええ、異分野からぱっと飛び込んだのがよかったのかもしれません。まったく免疫のない人間が科学菌に感染したような。でもどんな分野であっても専門家の間だけで閉じず、いろんな人が出入りして、外から見た印象を中にいる人にフィードバックするのは重要だと思うんです。

佐倉

うん、それこそジャーナリズムの役割かと。

注1:野依良治

1938年生まれ。「キラル触媒による不斉反応の研究」で2001年にノーベル化学賞を受賞。現在は理化学研究所理事長。


注2:理系白書

2002年1月より開始された毎日新聞の連載。科学者や技術者など理系の人たちの現状を描きながら、日本の科学技術のあり方を検証する。記事は『理系白書 この国を静かに支える人たち』『「理系」という生き方 理系白書<2>』(ともに講談社文庫)として書籍化されている。


七段目の跳び箱をいかに跳ぶか
元村

科学の難しさのひとつは、理解するまでに段階がいくつもあることだと思うんです。この段階までわかっていないと、この話はわからないという構造になっている。最初の跳び箱が跳べない人は、永遠に上の段が跳べないんですよね。

佐倉

うん。でも元村さんは理系の勉強を積み重ねてきたわけではないから、取材で科学者に話を聞くときは、下のほうの跳び箱を省いてるわけですよね。

元村

そう、最初からもう七段跳び(笑)。高校の理科ではまず一段目のテストから始まり、跳べたら二段目、三段目のテスト。でも大人になっていきなり七段目から始めた私からすると、重要なのは七段目をパーフェクトに跳ぶことではなく、ここになぜ跳び箱があって、ほかにどんな形の跳び箱があるか、そしてこの七段目は世界のなかでどういう位置づけなのかを知ることだと思うんです。

1_m.jpg
佐倉

なるほど。基礎の部分を習得するよりも、七段目の意義を理解するほうが、むしろ意味があるってこともありますよね。

元村

一般人の大人としてはそれでいいんじゃないのって思う。

佐倉

高校の理科では、そういう部分こそがむしろ必要なのかもしれない。生徒がみんな科学者になるわけじゃないんだから。

元村

でも今の理科の教科書は、そういう全体像に結びつきにくい。一段目、二段目の跳び方を必死で教えるんです。でも体育が苦手な子にそうやって七段目まで跳ばせるのは無理。

佐倉

だから逆に七段目から、つまり応用から始まる理科の教え方を考えればいいんじゃないでしょうか。むしろ上から入ったほうがわかりやすいことってありますよね。昔、板倉聖宣さん(注3)が提唱した「仮説実験授業」というのはそれに近い。「こうなっているのはなぜか」という問題から始まって、仮説をたてたり実験したりして掘り下げていくなかで、ひとつひとつの法則にぶつかるというやり方。

元村

でもその方法だとやっぱり、今の受験問題に対応する能力がつかない。

佐倉

受験問題が、もっと生活に密着した現象を問うタイプのものになればいいってことなのかな。

1_m.jpg
元村

そういうことなんです。理科教育の改革というのは、最終的には大学受験の問題のタイプを変えることなんだと思います。というより、それこそが最初にやるべきことじゃないでしょうか。

注3:板倉聖宣

1930年生まれ。教育学者。国立教育研究所を経て、「私立板倉研究所」を設立。本文中にある「仮説実験授業」とは板垣氏によると、「科学上のもっとも基礎的一般的な概念・法則を教えて、科学とはどのようなものかということを体験させることを目的とした授業理論」。内容は『仮説実験授業のABC』(仮説社)に詳しい


2006 (C) NATIONAL MUSEUM OF EMERGING SCIENCE AND INNOVATION