“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

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#06-2:黒田龍之助(語学教師)

2008年11月14日

言語も生物も、多様だからこそ世界は楽しい(2)

2.jpg 「言語学は科学だ」で終わった前半の話を受けて、黒田氏は言語に関するある企画を提案する。「新しい文字を作ってみよう」というこの試みは、何を明かしてくれるのだろう? そして人間の言語と生物の進化をめぐって進んだ二人の話は、最後に「文化」に到着する。言語も生物も文化も、多様であるほうが楽しく、そして必然であるはず……。二人の導く論は、この世界の見方にさまざまなヒントを投げかけてくれようだ。 (文=萩谷美也子、撮影=邑口京一郎)

くろだ・りゅうのすけ
1964年生まれ。上智大学外国語学部、東京大学大学院修了。専門はスラブ語学、言語学。東京工業大学助教授、明治大学理工学部助教授としてロシア語、英語、言語学を教え、現在は執筆や講演を中心に活動している。近著に『世界の言語入門』(講談社現代新書)

「文字をつくる」ことであぶり出されること
佐倉

サイモン・シンというイギリスのジャーナリストが書いた『暗号解読』(注2)という本が一時話題になりましたが、人間がどうやって文字をつくってきたのかというのも、面白いテーマですよね。

黒田

数でいうと、言語に対して文字の種類は絶対的に少ないんです。

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佐倉

最近の脳科学でいわれていますが、言語の能力というのは人間が本能的にもっているもので、普通に成長していけば体得できる。一方で文字は本能的なものではなく、学習しなければ身につけられません。文字は人類の歴史のなかでもずーっと後のほうに出てきますし、言語より文字の数が少ないというのは、そのあたりが関係しているのかもしれません。 ところでまだ解読されていない古代文字に、マヤ文字(注3)がありますよね。あの、人やら顔やらが複雑に組合わさったようなものが、なぜ文字とわかったんでしょう。

黒田

例えば、僕の名前をカンボジア文字で書いてもらったこのネームプレート(注4)。僕、カンボジア文字はまったくわからないんですが、それでもよく見るとくり返されている形があります。「KURODA」のKと「RYUNOSUKE」のKのあたり。そこから、この形がKの子音を表しているのではないかということが見えてくる。つまりそれが文字で、音を表しているなら、くり返しがあるはずだというところに着目するのではないでしょうか。

佐倉

くり返しのパターンや頻度を見ていくんだ。

黒田

逆に、こんな仮定はどうでしょう。「未知の文字を新しくつくってください」といわれたら、人はどうするか。きっとその人の文化的バックグラウンドによって違ってくるでしょう。普通は自分の母語をベースにしてつくるんだと思いますが、じゃあバイリンガルの子はどうするのか。子供たちを集めてやってみるといいんじゃないですか、「今日、新しい文字をつくってみよう!」って。

佐倉

ああ、それは面白いですねえ。

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黒田

もしヨーロッパの言語を知らない日本人の小学生だったら、カナの50音に対応するものを一個ずつつくっていくかもしれません。「カ」と「ガ」の音に対応するものは、ちょっとだけ変えるとかね(笑)。逆に「カ」と「ガ」をまったく違う形にする子はいるのかどうかも楽しみです。一方で英語圏の子供はきっと、kとgとaに対応するものをつくって組み合わせるでしょう。さっき言ったように言語学は科学なんですから、ぜひこれを未来館でやってください(笑)。好きなように文字をつくってもらって、それで例えば宮沢賢治の詩を表したら、どういうものができるでしょうね。

注2:『暗号解読』

古代から現代の量子暗号にいたるまで、暗号とその解読にまつわる歴史上のドラマをひもとく、世界的ベストセラー。新潮文庫(上・下)刊。


注3:マヤ文字

2世紀ごろからマヤ地域(メキシコ、ユカタン半島などの中米地域)で使用された象形文字。現在、解読が進みつつある。


注4:カンボジア文字のネームプレート

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黒田氏の友人であるカンボジア語の先生が、プノンペンでつくってきてくれたというネームプレート。カンボジア語で「KURODA RYUNOSUKE」と書かれている。


単一文化に人間は耐えられるのか
佐倉

黒田さんは東京工業大学と明治大学の理工学部で、ずっと理系の学生に語学を教えていらしたんですよね。

黒田

文系の学生よりずっと大変でした。文系の学生は言葉のあいまいな部分も受け入れてくれるけれど、理系の子には「どうしてあいまいなのか」というところから説明しなければならない。以前に授業で、「だから言語は記号の体系なんです」と言ったら、「記号って何ですか?」、さらには「“体型”って何ですか?」って(笑)。教える側は鍛えられます。僕は東工大で初めて、「他者に物事を伝えるとはどういうことなのか」を学んだんです。

佐倉

そのことは黒田さんの仕事に何か影響を与えましたか?

黒田

ええ。ずっと同じ業界にいれば知識のベースが同じだから、何でもわかり合えてしまう。でもそれでは面白くないなということに気づいた。そこから僕の仕事の方向性は変わっていきました。もともとの専門であるロシア語の業界から、もっと広く世界の言語へと広げていこうと思ったんです。専門家ってお互いの間で理解し合い、認め合い、そして威信を高め合って、学問をつくっていくところがあるでしょう。でも自分と異質の文化や価値観をもつ「他者に語ること」もまた、言語研究の分野で必要なのではないかと思うんです。

佐倉

科学と社会のコミュニケーションの問題も同じですね。現在の科学技術は専門家の間だけで進めるのでなく、例えば原子力発電や医療などの分野でも、生活者の立場をとり入れて双方向的に考えていかねばならない時代です。でも一般の人から見ると「専門家は何をやっているのかわからない」。どうやって双方のコミュニケーションの回路や場をつくるか、試行錯誤が続いている段階なんです。

黒田

僕は、それぞれの言語の専門家が自分の言語を極めていけば、全体として素晴らしい世界がくるかと思っていたんですが、あんまり来てないんですよね(笑)。みんな自分の専門だけをやって、むしろお互い反目し合ったりして……。それはなぜかというと、「間(あいだ)をつなぐ人」がいないからじゃないかと思うんです。それで、その間をつなぐ試みとして書いたのが、自分一人で世界の90の言語を解説するという本です(注5)。まあこれによって自分の限界も思い知ったわけですが(笑)。

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佐倉

それは間をつなぐと同時に、俯瞰しようという試みですよね。広い世界を見渡そうじゃないかと。

黒田

そうです。最初のご質問に戻りますが、どうして世界にこんなにたくさん言語があるのかというと、おそらく楽しいからなんですよ。もしも言語が一つしかなかったら、ものすごくつまらないと思います。

佐倉

先ほど、生物にとっては多様であることが生き延びるためのリスクヘッジだという話をしましたが、言語にとって多様であることは、「楽しい」以外に、具体的に何か利点はあるんでしょうか。

黒田

そうですねえ、「言語」を「文化」に置き換えてみてはどうでしょう。単一文化のほうがいいと思われますか?

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グルジア語の外国人向け文字教本。文字の書き方が図解されていて、見ているだけでも楽しい。

佐倉

ああ、なるほど。文化って、環境に適応して多様に進化していった生物と同じように、その地域の風土に応じて、いろんなものがはぐくまれてきましたよね。着物とか住居とか食とか。その多様性は、それぞれの地で生き残るための必然だった。だから根っこをたどっていくと「多様なのが楽しい」という気分の奥には、多様な環境で人間が進化してきたという事実──というか人々の営みの蓄積があるんじゃないでしょうか。そういう部分での人間の制約は案外強くて、寡占的な文化の状況に生き物としての人間が耐えられるかというと、本能的にいやだと感じるのではないかと、進化論者としての僕は思います。

黒田

多様性を排除しようとするのは、社会にとって危険なことです。いろいろな地域の文化や言語に対する興味が失われることのないように、これからも仕事を続けるつもりです。

注5:世界の90の言語を解説するという本

黒田氏の近刊、『世界の言語入門』(講談社現代新書)。英語や仏語などのメジャー言語だけでなく、サーミ語、ゾンカ語など知る人ぞ知る言語まで、アイウエオ順に並べて綴られたエッセイ。


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