“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

« #05-2:三好春樹(理学療法士) | メイン | #06-2:黒田龍之助(語学教師) »

#06-1:黒田龍之助(語学教師)

2008年11月 6日

言語も生物も、多様だからこそ世界は楽しい(1)

2.jpg

NHKラジオでロシア語を講じるかたわら、世界中の90もの言語を一人で解説してしまう黒田氏。
英語、ロシア語といった個別言語の枠を越え、多様な言語のある世界そのものの楽しさを伝えようとするその活動の根底には、どんな信条があるのか?
 「多様性」をキーワードに、生物学的、進化論的視点から迫ってみた。

(文=萩谷美也子、撮影=邑口京一郎)

くろだ・りゅうのすけ
1964年生まれ。上智大学外国語学部、東京大学大学院修了。専門はスラブ語学、言語学。東京工業大学助教授、明治大学理工学部助教授としてロシア語、英語、言語学を教え、現在は執筆や講演を中心に活動している。近著に『世界の言語入門』(講談社現代新書)

生物と言語は同じように分かれていく?

佐倉

この夏、テレビで北京オリンピックを見ていたら、小学校5年生の娘に「世界には、何でこんなにたくさん言葉があるの?」と聞かれたんです。今日は、世界中のたくさんの言語を相手に仕事をされている黒田さんと、この話から始めようと思ってきました。言語というのは人間がたくさんいると、自然にニョコニョコ分かれていくものなんでしょうか。

黒田

うーん、確かに「分かれていく」という話は聞きますが、違うものがくっつくというのは、あまり聞かないですよね。

1_m.jpg

佐倉

僕はもともと生物の進化の研究をしていたんですが、ダーウィンは『種の起源』(注1)で、生物の進化と言語の進化をアナロジーで書いています。例えば、生物は時間の経過に伴って種が次々と分かれていきますが、言語も同様に、同じ言語を使っていた人が移動して広がっていくうちに、少しずつ違いが蓄積されていくのかなあと。

黒田

確かに言語は自然な状態においておけば、次第に分かれていく可能性が高いと思います。ただ、現状は違う。現代では言語は放っておかれるものではなく、必ず国家が関わるものだからです。例えば、ワルシャワとプラハの間をちょっとずつ近づいていくと、次第に「ポーランド語っぽいチェコ語」「チェコ語っぽいポーランド語」になっていって、国境地帯には何ともいえない中間的なものがあったら面白いと思うんですが(笑)、実際はそうはならない。国境を越えた途端に切り替わります。そこが生物的なものとは違う、いろんな要素が介入してくる言語の世界です。 それに実際のところ、今、ものすごい勢いで言語は減っていて、今世紀中に8〜9割がなくなるだろうという説もあります。言語の多様性というのは21世紀的状況では難しいようです。

佐倉

生物にとっては、多様である、つまりたくさんの種があるというのは、基本的に良いことなんです。さまざまな環境に適応するポテンシャルがあるということですから。例えばパンダのように、笹が生える地域という特定の環境でしか生きられないと、笹が実らなくなれば全滅しますよね。つまり多様であることは、リスクヘッジなんですよ。環境が変化しても、それに適応する種があれば生物は生き延びられる。

黒田

ああ、そうなんですか。でも言語にとって多様であることは、必ずしもポジティブなことじゃない。むしろ今は、いろんな言語があることは面倒だし負担になると捉えられているような気がします。EUでも多数の言語を平等に扱うことに疲れてきたみたいです。ただ僕自身は、世界の言語が限られていくことは死滅を意味すると思っていますし、生物の世界でリスクヘッジという考え方があるのは面白いですね。

1_m.jpg

ロシア語などスラブ諸語研究から出発した黒田氏の仕事部屋には、「グラゴール文字」の壁かけが。9世紀につくられたスラブ語圏最古の文字で、現在ではすでに滅びている

注1:『種の起源』

チャールズ・ダーウィンにより1859年に出版された進化論についての著作。日本語では岩波文庫版がある。


簡単に予測できるものは科学ではない

黒田

ところで、生物学ではどうして生物の「変化」ではなく、「進化」というんですか? 言語の世界では「進化」や「発展」という表現は、現代ではまず使うことがありません。

佐倉

それは、社会や文化が発展するという啓蒙史観が先にあって、それを自然に投影したのが進化論の始まりだからなんです。でも現在の生物学で使う「進化」という言葉は、単に変わっていくこと、つまり「変化」とほとんど同じ意味です。進歩とか発展とかいうニュアンスはありません。

黒田

でもこの言葉のせいで、進化論を間違って解釈している人も少なくないんじゃないでしょうか。今もプリミティブに自然淘汰や弱肉強食を信じている人もいますからね。言語の世界でも進化論に見立てて、「弱い言語は淘汰され消えていって当然だ」と考える人もいるんですよ。

佐倉

それは進化論の間違った社会的解釈ですね。

黒田

ええ。逆に、残っている言語は構造的に優れた言語だから、その意味で英語が統一言語となるのは当然なんだという結論にもっていったり。「アフリカの少数言語ではロケットの構造のような、高度な事象を説明できないじゃないか!」なんていう人もいます(笑)。

佐倉

進化生物学で考える進化というのは、相対的な概念なんですよね。環境に適応するといっても、その特定の環境のもとでうまくやるというだけのことですから、別の環境では必ずしも優れていることにはならない。アフリカの少数言語は、ロケットの構造はうまく記述できないかもしれないけど、その地方の動物の生態や天候については、英語よりはるかに細かく記述できるかもしれないですから。

1_m.jpg

黒田

そういえば言語学がもっとも発展した時代は、進化論の時代に近いんですよね。

佐倉

19世紀ですね。

黒田

その時期に「インドヨーロッパ比較言語学」が生まれたんです。それは、インドからヨーロッパまでの広い地域の複雑に枝分かれした言語を一つの法則で整理するという、ものすごい成果でした。でも僕はいろいろ勉強するうちに、これだけの法則ですべてが説明できるわけはない、という気がしてきた。世界のあらゆる言語にある一つの方法論をあてはめるなんて、無理じゃないかと。それは生物という複雑なものを理解するときも同じかもしれません。

佐倉

ええ。進化論でいう「環境に適応したからそうなった」という説明は、場当たり的な結果論で、法則ではないし、予測ができない。だから進化論は「純粋な意味での科学ではない」と批判されることがあります。でもそれは、科学というものを狭い枠に閉じこめていると思うんです。実際、すべての事柄を捨象した一つの方程式で、あらゆる事象を予測できることのほうが少ないですよね。

黒田

私は逆に、「簡単に予測できてしまうものは科学ではない」と思っています。言語にも予測できないさまざまな表現があるからこそ、それを追求するのは科学なのだと。過去を分析することはできますが、未来の体系はあまりにも複雑で、さまざまな要因が考えられる。それを無視して簡単に将来の予測を立てるのは、スピリチュアルな占いみたいなものではないでしょうか。

1_m.jpg

佐倉

生物学者の中村桂子さんが、「科学とは未知の現象を既知のことにすることではなく、既知の現象の中に未知を見つけることである」と言っています。ニュートンにとっては、リンゴが落ちるという当たり前のことが謎だったし、ニュートンの法則の発見によってさらにわからないことが出てきた。それが科学だということです。黒田さんがおっしゃったことに通じるんじゃないかな。

黒田

そういう意味で、言語学は科学なんですよ。だからなぜ日本科学未来館に言語学のブースがないのか、すごく不思議です(笑)。



2006 (C) NATIONAL MUSEUM OF EMERGING SCIENCE AND INNOVATION