“科学”とひとくちに言っても、すでに確立して揺るぎないニュートンの法則から、異論続出の最先端仮説まで、そのありようはさまざまです。だから、私たちと科学の関係や、私たちと科学をつなぐものの姿も、なかなかとらえどころがなく、一筋縄では行きません。そんな混沌を少しでも見通し良くするために、科学とは何なのか、科学の鏡を社会に向けるとどう映るのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

#12-2:小川眞士(理科教師)

2010年4月20日

「理科的思考力」はどこに生まれるか(後半)


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後半の話題は中学入試の理科。最近の入試問題に見られる変化は、ここ何十年かの社会の変化とシンクロしていると小川氏は言う。 覚えるだけでなく、どれだけ理科的に考えるかが大切、と語る小川氏が子どもたちに託す思いとは?  その言葉は、「理科」がとても大きなものを孕んだ大切な教科であることを実感させてくれる。 (撮影=邑口京一郎)

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#12-1:小川眞士(理科教師)

2010年4月20日

「理科的思考力」はどこに生まれるか(前半)


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中学受験の進学塾で25年間、トップレベルのクラスを担当した有名理科教師。 受験指導のプロが、受験指導以前に大切にする「理科的思考力」とは何か? 全分野を内包する学習、身体感覚、グラフ……。キーワードをたどっていくとそれは、「人間としての力」につながるものでもあるようだ。 小さな教室のなかで営まれるユニークな指導を探ってみた。 (撮影=邑口京一郎)

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#11:吉松隆(音楽家)

2010年3月23日

「超ひも理論」はどんな音楽を奏でるか


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音楽や美術にかかわる“芸術的感性”を数値に置き換えることに、アレルギー反応を示す人は多い。しかし工学部出身の作曲家・吉松隆氏は、音楽も感情もデータとして解析し、客観的にCGなどで可視化することも不可能ではないはずだという。 科学と音楽の新しいリンクを考える吉松氏の壮大な夢とは? (撮影=邑口京一郎)

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#10-2:堀江敏幸(小説家)

2010年3月 5日

余白をとりこんで科学を語るということ(後半)


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本来、科学が目指すのは、数値や数式による客観的で普遍性のある記述。しかし二人は、一般の人に向けた科学の語り方として、別の選択肢を模索する。またそれは、サルや人間など生物を相手にした研究方法の問い直しにも通じるものがありそうだ。 言葉は科学研究の世界と社会をつなぐインターフェイス。こうして両者に橋を架けることで生まれるものとは何だろう? (撮影=邑口京一郎)

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#10-1:堀江敏幸(小説家)

2010年2月22日

余白をとりこんで科学を語るということ(前半)


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数式で自然を記述する科学者。対して、言葉で世界を描く小説家。 事前にもくろみられたそんな区分をするりとかわし、化学から古典まで、世界は堀江敏幸氏のなかで軽々とつながっていた——。 理系的な知と文系的な感覚の両方を視野に、言葉の名手たる小説家とともに模索した、新しい科学の語り方。 (撮影=邑口京一郎)

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